韓流時代小説 罠wana* 世子様、どうか民を想う聖君におなり下さい。ひっそり後宮を去るジアン | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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連載207回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫

君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~ 

第二部 第二話「落下賦」 

☆私が力の限り、世子さまをお守り致します!「裸足の花嫁」シリーズ第四話・王宮編。

ー「陽宗反正」。漢陽で起きた凄惨かつ痛ましい政変で、ジアンの父王や弟である世子は廃され、暗殺されてしまう。更に、外戚として専横を極めていた羅氏はことごとく粛正され、チュソンの祖父や両親は惨殺された。
奇しくも、前王、羅氏、それぞれの血を引く最後の生き残りとなったチュソンとジアンだったが。ー

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 ジアンが瞳をまたたかせると、彼は微笑んだ。
「たいしたことではない」
 少しく後、二人は四阿で向かい合っていた。女官姿のジアンが紅色のチマをふんわりと広げて座り、王はチマの上で筆をすらすらと動かしていた。
 王の頼み事とは、〝落花賦〟をジアンのチマに書き記すことだった。床に波打つチマはさながら咲き誇る牡丹のようだ。王は花びらにひと文字ひと文字、文字を書き付けてゆく。
 読書が趣味というだけあり、王の手蹟は見事なものだった。チュソンは彼らしい几帳面さの表れた字を書く。十分に能書家と呼べる域だが、王は更にそれを上回った。
 だが、王は当代一流の能書家と呼んでも遜色ない流麗な手蹟だ。王は予め持っている携帯用の墨壺に筆を浸し、紅色のチマに墨の色も鮮やかに文字を刻んでいった。
 いかほど経過したのか。すべてを書き終え、王が静かに言った。
「出てゆくときは、これを朕に残していってくれ」
 ジアンは黙って頷いた。
 王はまた四阿の正面に立ち、蓮池を眺めている。
「行くが良い」
 王は相変わらず何もない蓮池に視線を投げているだけだ。ジアンは立ち上がり、深々と頭を下げ四阿を後にした。
 仁嬪の処遇について、王は最後まで言及しなかった。ジアンもまた敢えて問わなかった。妃の扱いは王が決めることだし、仁嬪は彼の妻であり、今回の騒動は後宮という家庭内の揉め事でもある。いわば他人の家内のことにジアンが口を出す筋合いはなかった。
 ただ、あの夜叉のよう女が後宮に居座り続ける限り、世子はまた生命を狙われるのは必定だ。その時、誰が世子を守れるのか。
 ジアンはずっと世子の側にいられるわけではないのだ。仁嬪をどれほど憎からず思おうとも、息子を長生きさせたいなら、王は仁嬪を断罪する必要がある。
 果たして、王が単なる女の色香に溺れるだけの愚かな男なのかどうか、ジアンには判じ得なかった。世子のためにも、そうでないのを祈るばかりだ。

 十月最後の日、退職願は受理され、同日付けでジアンは後宮を去った。
 世子には敢えて挨拶はしなかった。あの愛らしい子の泣き顔を見たら、ジアンも泣き出して決意が鈍ってしまいそうだからだ。保母尚宮から事後に伝えて貰うことになっている。
ーどうか、この国の未来に光をもたらし、すべての民を遍く慈しむ聖君となられますように。
 六歳の世子は聡明で心優しい少年だ。ジアンは願わずにはいられなかった。
 キョンシムとの別離もまた辛いものだった。
ー淋しくなるわ。でも、きっとジアンのためには、その方が良いのよね。ご主人と仲良く幸せに暮らしてね。
 キョンシムの協力がなければ、ジアン一人で世子暗殺を食い止めるのは至難の業だった。抱きしめてきたキョンシムをジアンもまた抱きしめ、二人は涙ながらに別れを惜しんだのだった。
 出宮するあたり、ジアンは後宮出入りの御用商人に文をことづけていた。もちろん、町外れの宿に投宿しているチュソンに宛てたものである。手紙には、永の暇を賜ったことと、退宮の日時をしたためた。
 昼下がり、ジアンは小さな手荷物を抱えて王宮正門をくぐった。
 女官に与えられるお仕着せは返上し、今はきなりの上衣に薄桃色のチマという出で立ちである。木綿の質素なものだけれど、ジアンの清楚な美貌によく似合う。
 後頭部で髷に結った黒檀の髪には、チュソンから贈られた白藤の簪が秋の陽に煌めいていた。女官は王妃や側室たちの手前、派手な装飾品は身につけられない。後宮にいる間中も、文机の引き出し奥深く大切にしまっておいた。
 数歩あるいたところで、もう一度背後を振り返る。ジアンは王宮(ここ)で生まれ、前王の娘として育った。そして、このわずか二ヶ月、まったくの別人、女官として過ごした。
 今後こそ、もう二度と王宮に帰ってくることはないだろう。
 ジアンは王宮に向き直り、両手を組んで持ち上げた。座って頭を下げる。更に同じ動作を繰り返し、最後に深く頭を垂れた。かつてここに暮らしていた亡き父へ、自分を十八年間、育んでくれた王宮へ、敬意を込めた永の別れを捧げのだ。
 拝礼を終えてまた歩き出そうとした時、手前に若い男がひっそりと佇むのが見えた。
 ジアンが走り出したのと同時に、男も走り出す。次の瞬間、ジアンはチュソンのひろげた腕の中に体当たりするように飛び込んでいた。
 チュソンはジアンを力の限り抱きしめた。良人はジアンの艶やかな黒髪に顔を押し当て、しばらく動かなかった。
「元気そうで良かった」
 ジアンは言葉もなく、ただ頷くしかない。
「そなたは滅多にない美人だから、王の手が付かないかどうか、気が気ではなかった」
 これには笑ってしまった。チュソンがムキになったように言う。
「何がおかしい。私は本気で言っているんだぞ」
 ジアンはクスクスと笑った。
「亭主灼くほど女房モテず、ですよ」
 戯れ言めいた物言いに、チュソンもつられて笑った。
「そなたというヤツは。私がさんざんヤキモキしていたというに、相変わらずだな」
 ややあって、真顔で問われる。
「本当に何も無かったのであろうな? 王に何もされなかったか」
 ジアンは頷いた。
「はい。私が旦那さまを裏切るはありません。まだ信じて頂けていないのですか?」
 真実を言えば、何も無かったとは言えない。強引に仕掛けられたとはいえ、王とは何度か口づけを交わした。