連載205回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫
君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~
第二部 第二話「落下賦」
☆私が力の限り、世子さまをお守り致します!「裸足の花嫁」シリーズ第四話・王宮編。
ー「陽宗反正」。漢陽で起きた凄惨かつ痛ましい政変で、ジアンの父王や弟である世子は廃され、暗殺されてしまう。更に、外戚として専横を極めていた羅氏はことごとく粛正され、チュソンの祖父や両親は惨殺された。
奇しくも、前王、羅氏、それぞれの血を引く最後の生き残りとなったチュソンとジアンだったが。ー
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「そなた、なっ、何をする。乱心したか」
ポン尚宮が気色ばみ、世子のすぐ側にいた保母尚宮がハッとした。保母尚宮は仁嬪の謀略、世子暗殺未遂を既に知っている。謀を阻止するためには、世子が最も懐き、かつ世子のために忠誠を誓う乳母の協力はどうしても必要だった。生まれたときからずっと世子を育ててきた人だ。生みの母を知らない世子が母のように慕ってもいる。
東宮殿に来てから早い時点で、ジアンは保母尚宮にすべてを打ち明けていた。
ジアンの咄嗟の行動は、保母尚宮に今が危急のときだと悟らせた。
ジアンは声高に叫んだ。
「尚宮さま、羹です、羹に毒が入っております」
保母尚宮が咄嗟に御膳から羹の器を取り去る。世子は黒い大きな瞳を一杯に見開いている。
「乳母、どうして羹を引っ込めるのだ?」
キョンシムが進み出て、保母尚宮から羹の器を受け取った。保母尚宮は世子を抱きしめた。彼女の手が震えているのが傍目に判った。
もう少し遅ければ、世子は毒入り料理を食べていたかもしれない。ひと口で死に至るという怖ろしい猛毒だ。間違いなく世子の生命の炎は消えていただろう。
「よろしうございました。怖い鬼はもういなくなりましたゆえ」
保母尚宮の声は涙混じりだった。だが、本当の意味で、〝鬼〟はいなくなったわけではない。慈和堂には本物の鬼よりも怖ろしい鬼女が棲んでいる。
とりあえず、最悪の事態は避け得た。世子の室は騒然としている。その場に居合わせた者たちは保母尚宮とジアンのやり取りから、ほぼ何が起きたかを悟ったようだ。
〝毒〟という言葉に判りやすく反応したのは、当然ながらポン尚宮とハン女官だ。二人は皆が浮き足立っている合間に室を抜け出そうとしたところ、待っていた内官に取り押さえられた。これはキョンシムが機転を利かせて、表を守っている内官に事の次第を知らせておいたのだ。
一刻後。
ポン尚宮とハン女官は東宮殿の一室に引き据えられた。
上座におわすのが国王その人だと知るや、ただでさえ血の気がない顔が更に白くなった。国王より少し下手に保母尚宮、更にジアンが控える。
咎人が入室してほどなく、扉が開いた。キョンシムが両手に小卓を抱えている。その上に乗った器を見た咎人たちはますます蒼褪めた。二つの器には紛れもなく羹ー今日、世子の御膳に載っていたのと同じ料理が入っていたのだ。
キョンシムは小卓を二人の前に置くと、静々と後ろ向きに下がり、室の出口を守るように座る。あたかも咎人たちを逃がさないとでも言っているかのようだ。
保母尚宮が高らかに言った。
「今日は、そなたらの功に対して国王殿下より特別に御膳を下される」
二人は互いにちらちらと顔を見合わせている。保母尚宮がひときわ声を張り上げた。
「いかがした? 殿下の下されものに箸を付けぬつもりか」
厳しさを増した尚宮の声に、観念したかのハン女官が先に箸を取った。
彼女たちには、この羹が新たに作られた、毒入りとはまったくの別ものだとは判らない。見た目は世子に出した羹と同じゆえ、これも毒入りだと信じ込んでいる。
世子に出された羹はすぐに内医院に持ち込まれ、医官によって成分が特定された。既に朝鮮国内では見つかるはずのない希少性の高い猛毒だと鑑定が出ている。
だが、箸を取ったは良いが、ハン女官は固まってしまった。ハン女官は仁嬪から事が発覚の怖れありし時、口封じのために死ねとまで言い渡されている。そのための毒薬さえ内官から持たされているのだ。
にも拘わらず、生命を絶つこともできない気弱な娘であった。今ここで劇薬入りの羹を口にする勇気があるはずもない。
その傍ら、ポン尚宮は自棄になったかのようで、箸を握ると器を手に取り、次々に口に頬張った。
ハン女官の手から箸がすべり落ちる。彼女は蒼白な顔で泣き出した。
保母尚宮は呆れたように二人を見ている。
国王のまなざしは厳しいものだった。ふて腐れたポン尚宮、泣きじゃくるハン女官に苛烈な視線を当てたまま、厳かにも聞こえる声音で問いかける。
「何ゆえ、このような大それたことをしでかした?」
二人ともに応えない。保母尚宮が諭すように言った。
「同じ死ぬるにしても、楽に逝きたかろう。この上まだ白状するまで義禁府で取り調べを受けたいのか?」
義禁府の取り調べとは、名ばかりの拷問である。大の男でさえ、この拷問を受ければ死ぬといわれるほど過酷なものだ。中には拷問のあまりの苦痛に耐えかね、やってもいない罪を易々と口にする者もいる。そうやって無罪の政敵を権力者たちは陥れてきたのだ。
〝義禁府の取り調べ〟が効いたのか、ハン女官がしゃくり上げながら言った。
「イ、仁嬪ー」
傍らのポン尚宮がたしなめる。
「これッ、黙らぬか」
だが、一度開いた口は閉まらない。ハン女官は号泣しつつも、あっさりと罪を告白してしまった。
「私は仁嬪さまに命じられただけです。彼(か)のお方に脅されました。両親と弟を人質に取ったから、言うことをきかなけば、どうなるか判らないって。もし仁嬪さまの企みが成功したら、家族の面倒は一生見てやると約束して頂いたんですぅ」
国王の声は乾いていた。
「それで、そなたらは仁嬪の口車に乗り、世子を殺そうとしたというのか」
ハン女官が身を投げ出し、泣き喚いた。
「お助け下さいまし。私は仁嬪さまに脅迫されただけです」