韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫 子授け祈願を兼ねた新婚旅行。俺には下心があって | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

第一話・後編

連載57回 君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~

 **白藤の花言葉~決して離れない~** 

ーその美しき微笑は甘美な罠か?

どこから見ても美少女のジアンには、秘密があったー。  

 

附馬とは国王の娘を妻に迎えた男性を指す。

いわゆる王の娘婿である。難関とされる科挙に

最年少で首席合格を果たしたナ・チュソン。

将来を期待されながらも、ひとめ惚れした美しき王女の降嫁をひたすら希う。

約束された出世も何もかも捨てて、王の娘を妻として迎えたにも拘わらず、夫婦関係はよそよそしかった。

妻への報われぬ恋に身を灼く一人の青年の愛と苦悩を描く。ー彼女はその時、言った。
 「私と結婚したら、後悔しますよ」。果たして、その言葉の意味するところは? 妻となった王女は、良人に触れられることさえ拒んだ。ー
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ーその様子では、やはりまだなのですね。
 それから、母が郊外に子授けに御利益あらたかな寺があるので、そこに行くようにと熱心に勧めだしたのだ。
 チュソンは一度目は母の機嫌を損じないようにやんわりと断った。しかし、母によれば、既に寺の住持には連絡を取り、息子夫婦が参籠すると頼み込んでいるというではないか!
 連絡済みとあれば、今になって断れるものではない。チュソンは母のお節介焼きにはほとほと閉口する想いだった。半年前のあの騒動といい、どこまでも息子夫婦の私生活に介入しようとする母に辟易としていた。
 一度はっきりと止めて欲しいと言わなければならないだろうが、母は息子が思い通りにならなければ泣き出すに決まっている。チュソンが子どもの頃から、大抵相場が決まっていた。そのため、チュソンは努めて母を泣かせないように〝良い子〟でいなければならなかった。ただし、それは母が望む通りの息子でしかなく、本来のチュソンとはほど遠いものだったのだ。
 言うことをきかない息子を前にして、母は袖から手巾を取り出し、さめざめと哀しげに泣く。また、今回もあれをやられるのかと考えただけで、溜息が出そうだ。
 一方で、母の言い分に従うふりをするのも良いかもしれないとも考えていた。都を離れれば、夫婦水入らずになれる。むろん、屋敷でも二人だけの暮らしではあるが、当然ながら使用人の眼がある。
 チュソンはその点、幼いときから他人の眼というものにはある程度慣れている。生まれ育った父の屋敷には常に大勢の使用人が立ち働いていた。ましてや妻は王族であり、国王の棲まいである宮殿で暮らしていたのだ。妻の方こそ人目には慣れているだろうと考えるのが普通だけれど、妻は王宮の片隅でひっそりと忘れ去られたように暮らしていた。
 乳母とただ一人の女官が身の回りの世話をし、〝日陰の王女〟と呼ばれていた。もちろん、王女の暮らす殿舎には一定数の女官はいたはずだ。が、当の王女自身が必要以上に他者を寄せ付けず、やはり人員がいるとはいえ、仮にも王の娘としての体裁を整えるだけの女官数にははるかに及ばなかったというのが現実だ。
 王宮に暮らしていたとはいえ、事実上、王女は乳母と女官ミリョンの三人で暮らしていたのも同然である。そんな王女であってみれば、かえって王宮暮らしよりは今の方が大勢の人目を意識してしまうのだとしても理解はできる。
 そのせいで、余計に夫婦仲がよそよしいのだとしたら、やはり環境を変えてみるのも一つの手段ではないか。これまでとは違い、本当に二人きりになることで二人の関係の変化を期待できるのではと一縷の望みを抱いていた。
 三泊四日の予定で漢陽を発ったのが二日前である。到着した日は既に夕刻になっており、翌日は住職に挨拶後、金堂で読経に耳を傾けた。午後からは夫婦連れだって再び金堂に参詣し、およそ一刻に渡って祈りを捧げた。
 住職は雪のような太い眉が印象的だ。彼の話では、はるか昔、この辺りを治めていた代官には長らく子どもが授からなかったという。結婚十年しても妻に懐妊の兆しはなく、周囲から側妾を持つように強く勧められたところ、代官は妻を伴い、この御寺に参詣し三日三晩に渡って不眠不休で祈りを捧げた。
ー何卒、我らに子を与え給え。
 三日目、彼も妻も流石に疲れ果て、しばし浅い微睡みに落ちた。その最中、輝く光の球(たま)が妻の胎内に吸い込まれる吉夢を見たそうな。
 果たして、妻はほどなく懐妊が判明した。生まれたのは健やかな男児であった。以来、この寺の本尊観世音菩薩は子の無い夫婦に子を授けてくれると何世紀にも渡って語り継がれてきたのだ。
 チュソン自身は、特に迷信深いわけでもないし、かといって伝説を否定するわけでもない。この世にはまだまだ判らない神秘もある。王女と二人で参詣することで、いずれ子が授かるなら望むところだ。また、煩わしい人目がない場所で、夫婦水入らずで過ごすのも望ましい。いや、罰当たりな話だけれど、もしかしたら、後者の気持ちが大きいかもしれない。
 寺に滞在中は広大な境内に点在する宿泊者用の小屋に滞在している。小屋といっても、夜具も何もかも一通りは揃っており、一戸建ての小さな離れのようなものだ。観玉寺の開創は古く、高麗時代にまで遡る。高麗王室は仏教に深く帰依し、観玉寺も手厚い保護を受けてきた。
 朝鮮王朝時代に入り、儒教が国教とはなったが、この御寺は変わらず王室の庇護を得ている。高麗時代に建立された建物に朝鮮王朝時代になってから増築され、高麗様式、朝鮮様式が渾然一体となった全容は荘厳かつ威風堂々としており、時代の重みを感じさせる。
 滞在二日目で本来の予定は終わった。三日目こそ夫婦だけでのんびりと過ごしたいと考えていたチュソンだ。宿泊用の小屋で過ごすのも良し、王女が望むなら境内だけでなく、寺の周辺を少し歩いても良いと考えていた。
 御寺そのものがかなり標高の高い場所にあり、その分、冬の到来は下界よりは早い。条件が揃えば、朝は雲海がそれこそ海のように湧きいで、寺や周辺の峰々が白い大海に浮かんだように見えるともいう。
 絶景でも知られるため、わざわざ都から訪ねる旅行客もいるほどだ。御寺を囲む急峻から真冬に吹き下ろす風は冷たく、冬はしばしば豪雪に見舞われる。
 風光明媚な旅行地としても知られるため、チュソンは王女に散策も提案した。すると、王女からは予期せぬ返答があった。
ーお寺の背後の山では珍しい薬草が採れると聞いています。