時代小説 波の下の都へ~久遠の帝~二度と源氏の女には戻らない。私は父も家も捨て、彼の許に走ったが | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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時代小説 波の下の都へ~久遠の帝~

~その男、敵か味方か?~
 激動の歴史に翻弄される恋の辿り付く先は―。
 そして、やがて解き明かされる頼朝の死の真相。

 〝私は、あなたの胸の中にはいられない。
  誰より大好きなあなたの傍にはもう、いられない。
  何故なら、私は源氏の女
       あなたは平家の男だから〟 

 鎌倉御家人の河越三郎恒正の一人娘楓は父から、北条時政の息子時晴に嫁ぐように
 言い渡されている。
 とかく悪評のある時晴を嫌い、邸を飛び出した楓はある日、由比ヶ浜で時繁と名乗る
 不思議な漁師の若者に巡り会う。
 やがて、楓が知った時繁の重大な秘密とは。

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 今日も鎌倉の海はどこまでも蒼く、由比ヶ浜はきめ細やかな白砂がどこまでも続いている。絶え間なく鳴り響く海鳴りを聞きながら、楓は一歩一歩踏みしめるように浜辺を歩いていった。この道は愛する男へと続く一本道だ。この道を進めば、もう二度と後戻りはできない。
 生まれた家も父も棄て、楓は再び愛する男の許へ走る。二度と戻れない修羅の道をゆくために。
 父恒正の貌が眼裏をよぎる。ずっと慈愛深く見守ってくれた父を結果的には裏切ることになってしまった。自分はつくづく親不孝者だと思う。
―またいずこでひっそりと生きておるならば、それも良いと思ってな。
 四月に楓が時繁と河越に戻った時、父はそんなことを言った。楓の探索を早々に打ち切った背景には、影ながら娘の幸せを願う父の心があったのだ。今更ながらに、父の言葉が甦り、楓は瞼が熱くなる。自分が選ぼうとしている道は、どれだけの大切なものを棄てなければならないのか。
 それでも、楓は最早、あの男なしでは生きられない。今、時繁を追わずに河越の家で平穏だけれども虚しい日々を選べば、楓の心は永遠に死んでしまうだろう、
―お父さま。ごめんさない。
 楓は唇をきつく噛みしめ、もう一度、心の中で父に詫びた。  
 この懐かしい〝我が家〟に帰ってきたのは七ヶ月ぶりだった。去年の六月、河越の屋敷に戻るときには、またここに来るとは考えもしなかった。
 楓には予感があった。時繁は必ずやここにいるという確かな想いに導かれるようにして、ここに来たのだ。楓は少し軋む音を立てる扉を開けた。この戸が立てる音ですら以前は煩いと思ったのに、今は懐かしい。
 果たして、彼女の想い人はそこにいた。ただし、以前と大きく違うところは室内がガランとして持ち物らしいものは何一つないことだ。元々、男の一人暮らしらしく何もない家だったけれど、以前は申し訳程度にあった柳行李さえなくなっている。それはこの家(や)の主人が既にここを引き払うつもりでいることを何より物語っていた。
 扉の音に時繁が振り向いた。楓の出現に愕いた風でもなく、さりとて、嬉しそうというわけでもない。その感情の窺えぬ瞳は既に時繁が楓から関心を失ってしまったとも思えた。
 早くも折れそうになる心を奮い立たせ、楓は時繁を見つめた。
「どこかに行かれるのですか?」
 時繁は無言だった。傍らには旅の荷物らしい小さな葛籠(つづら)があった。その脇には例の布に幾重にもくるまれた宝剣がある。平家代々の家宝だという代物だ。
 彼は今、まさにその宝剣の包みを手にしようとしているところだった。
「あなたが私を復讐のために利用していないという言葉を、私は今も信じています。でも、もうお側には置いて下さらないほど、あなたは私をお嫌いなのですね」
 時繁は宝剣をまた傍に置き、楓を見た。ぬばたまの幾億もの夜を閉じ込めたような深い瞳。知り合ってもう何ヶ月、夫婦としてさえ暮らしたのに、この男に見つめられるとまだこんなにも胸が妖しく騒ぎ、身体が熱くなる。
「もう一度、お訊きします。いずこに行かれるのですか?」
 果てのない沈黙の後、ようやっと時繁が呟いた。
「ここではないどこかへ」
 前向きな応えとは到底言い難いが、とりあえず時繁が口を開いたことに勇気を得て、楓は話を進めた。
「そんなに私はお邪魔ですか?」
 今度はすぐに返答があった。
「俺がお前を嫌うはずはないだろう。確か、いつかも似たようなことを俺は言ったはずだ」
 楓はつい声高になった。
「ならば、どうして河越の屋敷を出られたのです?」
 時繁がフと自嘲的な笑みを洩らす。そんな表情をすると、時折垣間見える孤独の翳がいっそう濃くなる。楓は胸が引き絞られるように痛んだ。
「その応えであれば、楓がいちばん知っているだろう。俺はお前だけでなく、義父上も裏切ったんだぞ。父上はお前と河越の家を俺を信頼して託すと仰せになった。その信頼を俺はむざと裏切るような行為に走ったのだ。幾ら厚顔な俺でも、このまま何食わぬ顔で河越の屋敷にいるわけにはゆかないさ」
「―」
 時繁の言い分は道理だ。二人ともに口には出さないが、頼朝の死に時繁が深く関わっていることは周知の事実である。恒正と頼朝は義兄弟ともいえるほど深い絆で結ばれていた。恒正は主君の死を心から悼み、傷心の極みにある。頼朝を殺した時繁がそんな恒正と何もなかったような顔で暮らすことはできないのは当然だし、また、時繁はそういう男だ。
「納得できたなら、お前はもう帰れ」
 冷淡な声音に、涙が溢れそうになり、声では歯を食いしばった。
「私がお側にいてはいけませんか?」
「その必要はない。俺たちはもう終わったんだ。お前は河越の屋敷に戻り、新しい良人を持って義父上の期待に応えて家を盛り立てていけば良い」
 あまりにも無情な言葉に、とうとう楓の眼から涙が零れた。
「あなた以外の人には触れられるのもいや。そんな私にあなたは他の男のものになれと言う。ならば、いっそのこと死にます。いつか、あなたはおっしゃいましたね。海に入るのは苦しみながら死ぬことだと。でも、あなたを永遠に失うほどならば、私は迷わず死を選びます。どんなに苦しくても、あなたのいない世界で生きるよりはマシだから」
「楓」
 時繁が愕いたように眼を見開いた。
「短い間でしたが、時繁さまのお側で楓は幸せでした」
 楓は深々と頭を垂れると、軋む戸を押して外に出た。別に脅しでも戯れ言でもない。本気だった。時繁を失い、愛してもいないどこぞの男を二度目の良人に迎えるよりは、この海に身を沈めた方がまだ救われる。
 楓は砂浜に草履を揃えて脱ぎ、躊躇うことなく海に向かって進んだ。打ち寄せる波が素足を洗う。そのまま真っすぐ歩いてゆこうとした時、背後から逞しい腕に閉じ込められた。
「馬鹿者ッ。むざむざ生命を落とすなとあれほど俺が言い聞かせたであろうが!」
 耳許で大喝され、楓はピクリと身を震わせた。