幼い恋が散った瞬間、大姫の悲しみ&誰も借りてなかった「源義経」の伝記 大河ドラマ 鎌倉殿の十三人 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

皆様、こんにちは。

 

 昨日から今朝にかけては、冬並みに気温が下がって寒かったですね~。

 

 下界でさえ寒いのだから、息子がいる高野山はもっと寒いんだろうなぁ、ここのところ

 

 しばらく連絡を取ってなかったので、そろそろ様子を確かめてみようかなと考えている

 

 今日この頃です。

 

 さて、今日も大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を愉しく視聴しました。

 

 

 

 菅田さんの義経、、、

 

 個人的には、あまり好みのキャラではない。

 

 良くいえば天真爛漫で、自分の気持ちに忠実に生きる人ですね。

 

 梶原景時が義経を評して

 

 ー八幡大菩薩の化身、軍神のようだ。

 

 と、戦上手、戦いにかけては天才的なひらめきを見せる義経を褒めたたえました。

 

 なるほど、これはまさに言い得て妙です。

 

 歴史上においても、義経が「稀代の戦上手」であり、戦うことにかけては天才であった

 

 のは間違いないと思われます。

 

 大河ドラマでは様々な人が義経を演じ、作品ごとに描かれる義経像は違いますが、

 

 「戦にかけては天才」であるという設定だけはブレない。

 

 作品が違えば、同じ人物を描いたとしても別人級に違うのは当たり前ではあります。

 

 が、以前にも言いましたが、今回の義経、私が大好きだった滝沢秀明さん演じた「義経」

 

 とは、あまりに違い過ぎる(;゚ロ゚)

 

 今回の義経は「勝つため」なら、卑怯な手段も平気でとるし、

 

 ー戦に卑怯も何もない!

 

 と、言い切ります。

 

 うーん、タッキー義経からは考えられないなぁと、私はつい「二人の義経」を比べてしまいます。

 

 タッキー義経は、本当に優しい人として描かれていました。

 

 その優しさがかえって仇となり、最後には追い込まれてしまった感さえありました。

 

 あの義経は、純朴さー他人を疑うことのない子供のような純真さが

 

 裏目裏目に出たように思います。

 

 ところが、今回の義経は純粋というよりは、短気直情で、自分に絶対的な自信を持っている。

 

 「狡猾」という表現すら、当てはまるように思います。

 

 同じ義経のはずなのに、まったくの違う人を見ている気持ちになります。

 

 どちらがより「史実」に近いのか。

 

 どちらが人として良いのか。

 

 それは、この際、あまり問題ではないでしょう。

 

 「鎌倉殿の十三人」では、この「義経」が実に生き生きと動き回り、輝いています。

 

 だから、このキャラで良いんでしょうね。

 

 個人的には、あまり好みではないですが、、、

 

 菅田さん義経は、ごく自然に視聴者にこういう「反発」を感じさせるので、

 

 要はそれだけ演技力があるというか、真に迫っている熱演なのだと思います。

 

 そして、梶原景時を演じる中村獅童さんは、まるで戦国武将のような存在感です。

 

 あまりの重厚な存在感に圧倒されそうです。

 

 歴史上では、義経は梶原景時の「讒言」によって陥れられたといわれています。

 

 なるほど、今の時点でも、景時と義経の関係はかなり複雑そうです。

 

 いえ、景時と義経というよりは、景時の義経に対する心情の言い換えた方が良いのかな?

 

 景時が何か提案する度に、否定する義経。

 

 私は最初、景時が気を悪くしているのかなと思いかけたんですけど、

 

 景時は義経を「天才」だと素直に認めていますから、ちょっと違うのではないかと。

 

 これはあくまでも私が感じたことですが、景時の義経に対する感情は

 

 「羨ましい」とか「ねたましい」、「眩しく見ている」というのが近いのではないでしょうか。

 

 ドラマ内で景時がこんなことを呟くシーンがあります。

 

 ーあの男が思いつくことを私は思いつかない。

 

 景時はどこまでも「常識的」な思考の持ち主で、義経はかなり「型破り」。

 

 天才と馬鹿は紙一重という諺もありますが、なかなか常識家の景時が天才的な戦上手の

 

 義経の思考回路を真似るのは難しいのだと思います。

 

 この「ねたましさ」と後は、「若造のくせに、ことごとく大先輩の自分を無視して独断で

 

 事を進める」義経の横暴さに、景時もついには堪忍袋の緒が切れたのかもしれません。

 

 例えば義時のように、一歩引いて物事を眺め、相手が何を考えているのかを探り、

 

 常に相手を立てるようにふるまう。

 

 義経に義時が持っていた社交術の十分の一でもあれば、景時の反感を買うこともなかった

 

 かもしれません。

 

 「独断で事を進める」のは自分の考えを押し通すこと。

 

 しかし、自分の考えを通すにしても、周囲への気配りを心がければ、余計な波風を

 

 起こさずに済むこともあります。

 

 義経がもう少し年長者である景時を立てれば良かったのかも、、、

 

 さて、そんな中、義仲がついに頼朝に討たれました。

 

 鎌倉に人質として送られた息子義高の身に危険が迫ります。

 

 私が義経に興味を持ったのは、小六の時。

 

 学級文庫に「源義経」という伝記がありました。

 

 新刊として有るとき、入ってきたんですけど、誰も借りていなかった、、、

 

 なので、いつまでも新品同様、ぴかぴかでした。

 

 本の最後にポケットがあり、帯出票が入っています。

 

 まだ誰の名前もなく、私の名前が一番でした。

 

 真新しい綺麗な本は、気持ち良いですよね。

 

 私は自宅で「義経」を夢中になって読みました。

 

 全部読んで返しましたが、面白さが忘れられず、何ヶ月か後、再度借りました。

 

 そのときもまだ、帯出票には私以外の人の名前はありませんでした。

 

 また二番目に「ラビ村らび子」とかき込みました。

 

 結局、卒業までに三回くらい同じ本を借りたと思いますー笑

 

 その伝記は、義経が奥州平泉で過ごした時代を割と重点的に描いていました。

 

 同じ人物でも、描き方によって全く違う人物になることがあります。

 

 それが「歴史」の面白いところだと考えています。

 

 それから、ここでお題ですが、、、

 

 ゴールデンウィークは、いつものようにおウチにいる変わり映えしない予定だと思います。

 

 その分、少し早めに「藤公園」に二つも行けました。

 

 今でも撮影した美しい藤のカーテンを見る度に、夢を見ていたような心地です。