小説 優しい嘘~6月の花嫁~迫る別離の予感、私は彼にとって都合の良い女にすぎないー喪失の哀しみに | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

小説 優しい嘘~奪われた6月の花嫁~

 

☆―本当なんだ、俺は今まで男しか愛せないと自分では思ってたんだ。君に逢うまでは―
ゲイの青年が女と偽りメール交換していた女性と出逢い、〝男〟として目覚めていく。
 

~彼との出逢いは、私が書いたブログに彼がコメントしたことから始まった。
名前も顔さえ知らないメル友がいつしか私の大切な存在になっていたのだ。
たが、その時、私はまだ【彼女】の重大な秘密を知らなかった。

やがて、彼から私に向けられた言葉は―。
〝お願いだ、見合いなんかしないで。俺はあなたにとってまだ八つも年下の頼りない子どもかもしれないけど、俺を男として見て欲しい。他の男にあなたが抱かれていると想像しただけで、その男を殺したいと思うほどなんだ。絶対に他の男のものになんかならないで〟~



山本紗理奈は27歳。
短大を卒業して七年目、家電メーカーに勤務するベテランOLだ。
そんな彼女は五年越しの関係にある柿沼英悟がいるが、
社内恋愛といえば聞こえは良いものの、柿沼には妻がいる―いわゆる
不倫であった。

最初は順調であった英悟との関係も最近は
惰性で続いているような気がしてきている。

良い加減で見切りを付けた方が良いのかどうか、
紗理奈は悩んでいた。

そんなある日、紗理奈は夢を見た。
その夢のことをブログ記事に書いたところ、たまたまコメントが来る。
それがまさか紗理奈の運命を変える出逢いの始まりになるとは予想もしなかった。
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 独りぼっちのバースデー

 その日の午後、紗理奈は秘書課の課長直々に呼び出されていた。
「まったく君らしからぬ失態だね、山本君」
 普段は滅多と怒りを見せない秘書課長の怒りの凄まじさに、秘書課はしんと静まり返り、関係のない若い課員までが皆、うつむいている。
「申し訳ありませんでした」
 紗理奈は深々と頭を下げた。
 秘書課長はいささか大袈裟にも見える溜息をこれ見よがしについた。
「最近の君はどうかしているんじゃないのか」
 言ってから、いきなり低声になった。
「柿沼部長と上手く行ってないのか?」
 秘書課長は柿沼とは同期だと聞いている。しかも、紗理奈の直属の上司なのだから、二人の関係を知っているのは自然だ。むしろ今まで課長から柿沼との関係が出なかったのは、課長なりのせめてもの思いやりだったのだ。
 紗理奈はもう一度、頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした。すぐに人数分のコピーを取り直して参りますので」
 紗理奈は今日の昼前、秘書課長から重役会議で使う資料を人数分コピーして来るように言われていた。早速、コピー室でコピーを取ったのはまでは良かったのだが、どうやら、最後のページだけが数部揃ってなかったらしい。しかも、五枚に渡るその資料を一人分ずつ纏めてホッチキスで留めていったときでさえ、その重大なミスに気付いていなかった。
 確かに、いつもなら考えられないミスだ。が、実はコピーを取りながら、紗理奈は柿沼のことを考えていたのだった。
 二ヶ月も連絡を寄越さなかったのに、急に逢いたいと告げてきた柿沼、男の真意はどこにあるのか。恐らくは、あまり良いものではないだろう。ここまで来て、何を躊躇うことがあるというのか。誰もが言うように、こんな見込みのない恋は良い加減に見切りを付けた方が良いのだ。
 紗理奈はまだ二十代なのだ。まだまだ、これから先に新しい恋を見つけられる可能性はある。いつまでも家庭持ちの四十男に振り回されているのは愚かなことだ。
 ―判っていながら、いざ柿沼にメールしようとすると、指が震えてしまう。これで本当に、あの男との五年間が終わってしまうのだと思ったら、指が動かない。そう、馬鹿らしいことに、紗理奈はまだ、あんな卑劣な男に未練がある。もしかしたら、妻を棄てて自分の方を向いてくれるのではないかと儚い期待を―五年間、心のどこかに抱いてきた望みを口にしてしまいそうになる。
―私は結婚なんて興味ないの。英悟さんと一緒にいられれば、それで幸せ。
 男の前で物分かりの良い女を演じて見せたのは、男が自分に都合の良い女を求めているのを知っていたから。男が本気ではないと、家庭を捨ててまで自分と生きる道を選ぶことはないと知っていたからこそ、敢えて決断を迫るような求めは一切しなかった。
 そして今、柿沼は紗理奈が心のどこかで怖れていたように、飛び立っていこうとしている。自分たちの間にはもう時めきもなく、ただ惰性で繋がっているだけだと思っていたのに、男がいざ離れてゆこうとしたら、みっとともなく迷い、そんな男に縋ろうとしている。
 しかし、それが男への愛情なのか、それとも、五年間を無為に費やしたことへの未練なのか、紗理奈には判らない。ただ一つだけいえるのは、今、柿沼を見送れば、二度と男はこちらを振り向かないという必然的な別れの予感だけだった。
 思い通りにならない男のことを考えていたというのは、けして仕事上のミスの言い訳にはならない。紗理奈はしてはならないミスを犯してしまった。
 うつむいている紗理奈の頭上で、大きな溜息が聞こえた。
「山本君、第三者が口出しするべき問題じゃないのはつくづく承知だが、柿沼のことは諦めたまえ。あの男に家庭を捨てるのは無理な話だよ。佳枝(よしえ)さん―、私はあいつと同期だから、彼の奥さんもよく知っている。あいつと佳枝さんは社内でも伝説になるくらいの熱烈な恋愛結婚だったんだ。佳枝さんが死産した日、柿沼が男泣きに泣きながら俺に電話してきたのを今でもよく憶えているよ。そんな男に妻が棄てられるはずがない。悪いことは言わない、君にとって、柿沼は害こそもたらしこそすれ、良いことはない男だ。冷静になって、よく考えてみなさい。そろそろ潮時じゃないのか?」
 秘書課の皆が聞き耳を立てているのが判った。恥ずかしさと屈辱で全身が熱くなる。紗理奈はもう一度頭を下げた。
「ご心配をおかけします」
 後は、こちらを窺う後輩たちには眼もくれずに秘書課室を出た。
 秘書課長が悪いのではない。できれば皆のいる前で話してくれず、別の場所にして欲しかったのは事実だけれど、課長にしてみれば見るに見かねての苦言だったに違いないからだ。
 紗理奈はコピー室に直行し、足りない分をコピーして今度こそ人数分の資料を揃えた。それを渡した時、秘書課長はもう何も言わず、
「ご苦労さん」
 と、いつものように気安い笑顔を向けただけだった。
 その日は他課から例外的に中途異動してきた新人の指導があり、遅くなった。大卒三年目だから、実のところ、紗理奈とは同年である。しかし、短大出であり、秘書課員となって既に五年目の紗理奈は彼女からいえば大先輩になる。
 頭は悪くないのだが、とにかく融通のきかない性格で、紗理奈も色々と教えるのに苦労していた。こういう中途の異動は稀である。その裏には、総務部にいたこの女子社員に部長がセクハラをしたとかしないとか、そのため、本人が願い出て異動となったなどと不穏な噂も流れていた。
 確かに中年男が好む、何となく若手女優にいそうな清楚で大人しげな顔立ちの美人である。外見に似合わぬ頑固さで、この俄(にわか)後輩は紗理奈をしばしば困惑させた。
 その日もさんざん手こずり、会社を出たのは定時を大幅に上回った時間であった。会社から紗理奈のマンションまでは私鉄に乗ること二時間だ。その中には乗り換えが一度含まれる。けして近い距離とはいえない通勤である。
 それでももっと便利な場所に引っ越そうと思わないのは、やはり柿沼との関係をずるずると続けている優柔不断さと同じかもしれない。