韓流時代小説 消えた娘～王を導く娘
(第四話)
本作は、「復讐から始まる恋は哀しく」の姉妹編。
前作で淑媛ユン氏を一途に慕った幼い王子燕海君が見目麗しい美青年に成長して再登場します。
今回は、この燕海君が主人公です。
廃妃ユン氏の悲劇から14年後、新たな復讐劇の幕が上がるー。
哀しみの王宮に、再び血の嵐が吹き荒れるのか？
登場人物 崔明華（恒娥）チェ・ミョンファ。またの名をハンア。町の観相師、15歳。あらゆる相談に乗る
が恋愛相談だけは大の苦手なので、断っている。理由は、まだ自分自身が恋をしたことも
なく、奥手だから。
燕海君 21歳の国王。後宮女官たちの憧れの的だが、既に16人もの妃がいる。
前王成祖の甥（異母妹の息子）。廃妃ユン氏（ユン・ソファ）を幼時から一途に慕い、大王大
妃（前作では大妃）を憎んでいる。臣下たちからは「女好きの馬鹿王」とひそかに呼ばれる。
**********************************************************************************
☆本作には観相が登場しますが、すべてはフィクションであり、観相学とは関係のないものです。本当の観相学とはすべて無関係ですので、ご理解お願いします。
しかも、死んだのは評判のろくでなし男だ。女将のように口には出さずとも、死んでくれて良かったと思う輩は大勢いるだろう。むしろ、弄ばれた女たちは、殺してやりたいとまでに恨んでいるのではないか。
女将が頷いた。
「判ったよ。あたしの言葉であの娘(こ)がどうするかまでは判らないが、あたしも無実の坊さんが娘の罪を被って死んだとなれば寝覚めも悪い。話すだけは話してみようかね」
「よろしくお願いします」
明華はもう一度礼を言い、花水楼を後にした。何だか酷く疲れている気分だったけれど、ここで安心している場合ではないのだ。
昼下がりの色町は、森閑としている。たまに妓生や客と思しき男を見かけるが、その他は至って長閑なものだ。
表通りには、花水楼他、名だたる妓房が軒を連ねている。今はのんびりとした雰囲気が漂うこの町が夜には都の一大遊廓地帯として、生まれ変わったように活気づくのだ。
どの見世の軒先にも色鮮やかな提灯に煌々と明かりが点り、妓房からは楽に混じり女たちの華やかな嬌声と男たちの浮かれ声が響き渡る。
ヨンや礼曹参判の令嬢が生きる世界とは別の意味で、明華にはまた縁遠い世界であった。
明華は毅然とした面持ちで、下町の我が家へと向かった。
いつしか明華は走っていた。一刻も早く王宮に行って、ヨンに会わなければならない。いつもなら、彼からヨ内官を通じて連絡が来るのを待つのだけれど、悠長なことを言っていられない。
考えてみれば、自分からはヨンに会いたくとも連絡のつけようもないのだと改めて知る。ヨンは明華に愛していると幾度も言ってくれたが、会いたいとさえ言えない関係は、ヨンに都合の良い一方通行の関係ではないのだろうか。そんな状態で、本当に愛されている、必要とされていると思って良いのか。
彼との関係を見つめ直す度に、たくさんの矛盾に気づいてしまうのは、とても残念だし哀しいことだった。
明華は走る。どこまでも、力の限り、走る。
全速力で大通りを駆け抜けてゆく少女と危うく衝突しそうになり、慌てて避ける行商人、眼を丸くして見送る老婆。呆れたように肩をすくめる両班もいた。
下町の貧民街に入ると、道は途端に狭くなる。似たような仕舞屋が居並ぶ見慣れた風景が見えてきたところで、明華はつんのめって転んだ。
それでも、彼女は手をついて起き上がった。立ち上がろうとして、右足に痛みが走る。
「ー痛っ」
チマは土まみれだし、そっと捲ると穿袴(ズボン)の脛辺りに小さな穴が空いて血が薄く滲んでいた。すりむいたらしい。
じわりと、思わず熱いものが瞳の奥に湧いた。
この瞬間にも、義禁府の牢で宗俊は生命の危機と向き合っているのだ。さぞ心細い想いをしているに違いない。
とりあえず汗だくになった衣服を着替えて、すぐに王宮に行こうと思っていた。いきなり行って王さまに会わせて欲しいと頼んでも、まずは無理だろう。だけど、このまま手をこまねいているわけにもゆかない。
明華は痛む脚を引きずりつつも、また我が家目指して走った。
と、家の前に一人の貴公子が佇んでいた。帽子を目深に被っているが、すっきりとした立ち姿は見慣れたものだ。
明華が近づくと、ヨンが帽子(カツ)の下から彼女を見た。
「明華」
言いかけ、ハッとする。
「どうしたんだ？ このなりは」
彼の視線が忙しなく明華の全身を行ったり来たりした。視線は泥だらけのチマに釘付けになっている。
明華は力なく微笑んだ。
「ちょっと転んだだけです、大丈夫ですから」
ヨンはなおも気遣わしげに見ている。
「失礼」
断ってから、跪き、チマの裾をわずかに捲った。
「若さま」
咎めるような口調になったのは、この場合、致し方ないだろう。ヨンは地面に片膝ついた体勢で言った。
「何が大丈夫だ。怪我をしているではないか」
明華は烈しく首を振った。
「そんなことはどうでも良いの！ 若さまにどうしてもお伝えしたいことがあって、王宮に行こうと思っていたんです」
「だが、先に手当をー」
明華は怒鳴った。
「手当なんて、どうでも良いんです！」
明華はヨンを決死の形相で見上げた。
「今日、花水楼に行ってきました。花水楼の女将さんの話で、真犯人が見つかったんです。それで、若さまにお伝えしようと思って」
ヨンがすかさず言った。
「明華、その話だが、もう遅い」
「えー」
我ながら、惚けた顔で彼を見た。
「遅いって、どういう意味ですか」
ヨンの瞳が哀しみに揺れていた。
「宗俊の処刑が決まった」
「そんな、処刑ってー」
あり得ない。彼は無実なのに、領議政の孫を殺したのは彼ではなく礼曹参判の令嬢なのに。
心で呟いたつもりが、知らず、口に出していたようだ。ヨンが沈痛な面持ちで言った。
「礼曹参判の娘を咎人にするわけにはゆかぬ。彼女には未来がある」
明華は肩に置かれたヨンの手を払いのけた。
「何、それ。お嬢さまには未来があるけど、宗俊さまには未来が無いとでもいうんですか？ 両班の娘は人殺しをしても庇って貰えて、何の罪もない庶民は人殺しの罪を着せられて死ねと？」
明華は泣きながら訴えた。
「殿下も同じじゃありませんか。口では身分の上下のない世の中を作りたい、立場で人の価値は決まらないなんてきれい事を言ってても、結局は両班の味方をするんだわ。何が違うの？ 皆、同じ人間でしょう。しかも、宗俊さまは何もやってはいないのよ？ どうして、彼が我が儘なお嬢さまのために死ななきゃならないんですか」