韓流時代小説 夜に微睡む蓮～王を導く娘～
（第三話）
本作は、「復讐から始まる恋は哀しく」の姉妹編。
前作で淑媛ユン氏を一途に慕った幼い王子燕海君が見目麗しい美青年に成長して再登場します。
今回は、この燕海君が主人公です。
廃妃ユン氏の悲劇から14年後、新たな復讐劇の幕が上がるー。
哀しみの王宮に、再び血の嵐が吹き荒れるのか？
登場人物 崔明華（恒娥）チェ・ミョンファ。またの名をハンア。町の観相師、15歳。あらゆる相談に乗る
が恋愛相談だけは大の苦手なので、断っている。理由は、まだ自分自身が恋をしたことも
なく、奥手だから。
燕海君 21歳の国王。後宮女官たちの憧れの的だが、既に16人もの妃がいる。
前王成祖の甥（異母妹の息子）。廃妃ユン氏（ユン・ソファ）を幼時から一途に慕い、大王大
妃（前作では大妃）を憎んでいる。臣下たちからは「女好きの馬鹿王」とひそかに呼ばれる。
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☆本作には観相が登場しますが、すべてはフィクションであり、観相学とは関係のないものです。本当の観相学とはすべて無関係ですので、ご理解お願いします。
今日も都漢陽の下町はかしましい。生きたまま売られている鶏は哀れな自分の運命を察知したかのようにコッコと啼き騒ぎ、少しでも高く商品を売ろうとする露天商、逆に少しでも安く値切ろうとする客の声が更に騒がしさを倍増させる。
明華は、いつものように目抜き通りの外れ、四つ辻で観相の看板を出していた。
少し離れた隣では、鶏肉屋が自慢の鮮やかな包丁捌きを披露している。
ふいに、隣から素っ頓狂な声が響いた。
「おおっ、逃げるかっ」
バタバタと忙しない羽音が聞こえ、次いで白い塊が明華の眼の前をよぎった。
「おじさん、鶏も空を飛ぶのね。初めて見たわ」
明華がのんびりと言うのに、鶏肉屋は血相を変えて、まくしたてる。
「何を他人事(ひとごと)だと暢気なことを言ってるんだ。あれは大事な商売物なんだぞ」
鶏だって、好んで捌かれたくはなかろう。虫の知らせで、生命の危機を察知して逃げ出したのかもしれない。
ふと泣き声が聞こえて、明華はギョッとした。良い大の男、鶏肉屋がおいおいと声を上げて泣いている。
「あれを逃がしたと嬶ァに知られた日にやア、代わりに儂が捌かれて肉の塊にされちまう」
この人の好い親父は見た目は強面のおじさんだが、実は大の恐妻家である。
明華が笑った。
「しようがないわね」
明華はチョゴリの袖をまくり、チマの裾をからげた。あまり年頃の娘としては人前で見せてはならない格好である。
「おじさん、私に任せて」
明華は景気づけにペッペと手に唾をつけ、走り出した。誰にも言わないけれど、実は子どもの頃から駆け比べは得意だ。自分より大柄な男の子と競争しても、負けた試しはないのだ。
「待ちなさい～」
明華は声を上げながら、ひたすら走る。逃げ回る鶏と風のごとく追いかける可愛らしい少女はすぐに注目の的となった。
通りを行き交う通行人が足を止め、追いかけっこの結末を見守る。ほどなく明華は逃げ出した鶏を見事に捕まえた。
「つ・か・ま・え・た！」
最後は逃げ切られそうになったので、滑り込みで捕まえたのだ。お陰で、着ているチマチョゴリは泥まみれだ。それもそうだろう、地面に自分から突っ込んでいったのだから。
珍競争を見物していた輩から、やんやの拍手喝采が起こった。いまだ地面に突っ伏したままの彼女、それでも片手を上げて群衆の声援に応えるのも忘れない。
「まあ、ざっと、こんなものね。崔明華を甘く見ては駄目よ」
明華は捕まえた鶏に言い聞かせながら、ゆっくり起き上がろうとした。
その時。愉快そうな声が空から降ってきた。
「何と腕利きの観相師どのには、そのような妙技もあったのだな」
もしかして、この声は。
明華は怖々と顔を上げた。烈しく嫌な予感がする。
若い娘なら、誰でも惚れた男に見られたいとは思わない光景に違いない。顔を上げた先には、やはりというべきか、今日もまた竜顔も麗しい王さまがいた。
「ええと、あのう、これは単なる人助けというもので」
慌てて言い訳しようとすれば、ヨンが手を差し伸べながら満面の笑顔で言った。
「ああ、そうだろう、そうだろう。そなたは困っている者がいれば見過ごしにはできない、優しい娘だからな」
ヨンの手に捕まり、立ち上がった明華に近づき、彼は耳許で囁いた。
「笑っているそなたも、怒ったそなたも、どんな明華でも私は大好きだ。愛しているよ、私の明華」
身体が離れる間際、彼の唇が頬を掠める。
この王さまは、やはり天性の女タラシだ。明華は耳朶まで染め、認識を新たにしたのだった。
七月末、今日も都には夏の青空がひろがっている。顔彩で塗り込めたような空の果てに、綿のような入道雲が湧いている。
今日も嫌になるほど暑い一日になりそうだ。頬が熱を持っているのはヨンに口づけられたからではなく、うだるような夏の暑さのせいだと思いたかった。
「コケコッコー」
明華の乙女心も知らず、捕まえた鶏が意気揚々と鳴き声を上げた。