韓流時代小説 王を導く娘~観相師~
本作は「復讐から始まる恋は哀しく」の姉妹編。
前作で淑媛ユン氏を一途に慕った幼い王子燕海君が見目麗しい美青年に成長して再登場します。
今回は、この燕海君が主人公です。
廃妃ユン氏の悲劇から14年後、新たな復讐劇の幕が上がるー。
哀しみの王宮に、再び血の嵐が吹き荒れるのか?
登場人物 崔明華(恒娥)チェ・ミョンファ。またの名をハンア。町の観相師、15歳。あらゆる相談に乗る
が恋愛相談だけは大の苦手なので、断っている。理由は、まだ自分自身が恋をしたことも
なく、奥手だから。
燕海君 21歳の国王。後宮女官たちの憧れの的だが、既に16人もの妃がいる。
前王成祖の甥(異母妹の息子)。廃妃ユン氏(ユン・ソファ)を幼時から一途に慕い、大王大
妃(前作では大妃)を憎んでいる。臣下たちからは「女好きの馬鹿王」とひそかに呼ばれる。
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☆本作には観相が登場しますが、すべてはフィクションであり、観相学とは関係のないものです。
本当の観相学とはすべて無関係ですので、ご理解お願いします。
「だが」
ヨンが改めて明華を見つめた。透徹な双眸は、明華の腹の底まで探ろうとするかのように鋭い。いつも穏やかで優しい彼はこんな眼もするのだと、初めて知った。恐らく、この怜悧で何者をも寄せ付けない顔が王としての彼の本来の姿なのだ。
彼は、なおも明華の意を探ろうとするかのように見つめ続けていたが、やがて、小さく息を吐いた。
「そなたであれば、信用できると見た」
明華の全身に漲っていた緊張感が俄に解(ほど)けてゆく。彼女自身もまたホウと息を吐いていた。
「私は大王大妃に生命を狙われている」
続く彼の言葉は、明華の想像の限界を超えていた。声もない彼女に、ヨンは淡々と話す。
「私には同腹の弟がいる。二つ違いで、今は既に妻帯して独立した屋敷を構えているが」
明華にも何となく話の向かう先が見えた気がした。
「もしや大王大妃さまは弟君を次の王に立てようと目論でいるのでは」
ヨンが口の端を引き上げる。
「流石だな。察しが良い」
「弟は病弱で、気の弱い男だ。大王大妃にとっては格好の操り人形になるだろう」
ヨンは更にサラリと言った。
「加えて、弟にはまだ乳飲み子の息子がいる。仮に弟が大王大妃に刃向かうようなら、赤児を王位につければ済むだけの話だ」
口には出さないが、その前に現王である彼と、次の王にと考えている王弟を抹殺してからの話であることは疑いようもない。
「これまで何度、殺されかけたか知れない。今、こうして生きているのが我ながら不思議なほどだよ」
まるで天気の話をするような口ぶりが、かえって彼の生きてきた壮絶な日々を彷彿とさせる。日々、生命を狙われる危険があることは、彼にとっては〝日常〟でしかなかったのだ。
寛徳大王大妃、何と空恐ろしい女性だろう。明華は我知らず背筋が冷えるのを憶えた。
一応、念のために確認する。
「殿下を殺そうとしたのは、大王大妃さまですか?」
ヨンが肩をすくめた。
「いちいち確認したわけではないから、何とも言いようはないけど、十中八九は」
思わず張り詰めさせていた息を吐き出し、明華は少し考えてから続ける。
「だから、わざと凡庸な王を演じていたのですね?」
「まあ、そういうこと」
ヨンはまた何でもないことのように言い、視線を上向けた。
「私が愚鈍な王である限り、多少の対立はあっても、大王大妃は安心していられる。あまりにお粗末な出来では王座に据える価値もないと判断されてしまうから、即位までは大王大妃の気に入るように、ほどほどに出来の良い孫を演じた。今は、こんな阿呆はいつでも玉座から引きずり下ろせると油断しているはずだ」
「立ち入ったことをお訊きしますが、お妃さま方との間に御子をお作りにならないのも、そのせいですか」
この問いの応えには、少し間があった。
「今までは何とか大王大妃の放った刺客から逃れてこられたが、いつ何時、どうなるか判らない身だ。子を儲けたとしても、息子までもが大王大妃の権力欲の餌食になるだけだと判っているからね」
次いで、彼は意味深な瞳で明華を見た。
「後は、妃たちの中に、我が子の母となって欲しいと思う女がいない。それも大きな理由だ。己れの立身と保身にしか興味がないような女はご免だ」
かなり冷淡な、切って捨てるような言い方である。明華はこの部分には少しの引っかかりを憶えた。
「ですが、殿下。お妃さまたちの中には純粋に殿下をお慕いしている方もいらっしゃるのではないでしょうか」
十数人もいる妃すべてが欲得づくだけで王に仕えているわけではあるまい。
ヨンが表情をやわらげ、頷いた。
「確かに、明華の言う通りだ。妃の中には、可愛いと思う者も確かにいる。けれど、結局、彼女たちの頭の中には自らの実家の隆盛だとか、自身が世子の母になるといった欲が勝っている。私もだてに後宮で育ったわけではないから、その辺りの女人の計算づくの心理くらいは見抜ける」
ー妃の中には、可愛いと思う者も確かにいる。
そう言ったときのヨンの表情がかすかに笑んでいたのは気のせい?
それはそうだろうと、明華は自嘲気味に考える。ヨンの側室は上は張貴人から下は淑媛の位を賜った者まで、総勢十六人と聞いている。そのすべての女たちが皆、計算高い、可愛げのない女であるはずはなく、曲がりなりにも夫婦としての日々を過ごしているなら、情が湧かないはずはないのだ。
ヨンからは、あまり聞きたくない言葉だと思うのは、明華の理不尽な我が儘だと判ってはいる。明華のヨンへの想いはごく一方的なもので、いわば片想いにすぎないのだから。
彼が何人の女を侍らせようと、どの妃を愛していようと、明華に口を出す資格はない。
だが、これですべての謎が解け、パズル(合わせ絵)のピース(断片)があるべき場所に収まった。ヨンは、やはり、見かけ通りの暗君ではなかった。
更に、大王大妃に何度も殺されかけている。この結論から導き出される彼の未来絵図がそのまま、明華が観た〝手負いの龍〟なのだろう。
悪しき未来を変えるには、大王大妃をどうにかするしかない。とはいえ、相手は一国の大王大妃である。哀しいかな、ムスリがまともに闘える相手ではないのは確かだ。
ーどうすれば良いの?
焦りと戸惑いだけが募ってゆく。ふと、こちらをじいっと見つめているヨンと眼が合った。
哀しみに揺れる双眸は、そっくりそのまま傷ついた龍の瞳と重なる。片眼を射貫かれ、血の涙を流していた美しい龍。二度目に観たのは、悠々と空を飛翔する龍がたくさんの矢を射かけられ、満身創痍で墜落する痛ましい場面だった。
古来、龍は帝王、しかも聖君を象徴する瑞獣である。きっと大妃という障害さえなければ、この男は聖君と後世に名を刻む男なのだ。