時代小説 鈴~Rei~
☆ 男は女を愛し、
女は男に対して姉のような情を抱いた。
宿命に引き寄せられるようにして出逢った男と女の想いがすれ違った時、
男の烈しい嫉妬の焔が燃え上がる。 ☆
生まれて初めて心から女を愛した男が愛を返して貰えないがゆえに、鬼になってゆく。。。
江戸時代、木檜(こぐれ)藩の藩主木檜嘉利(よしとし)は領民から〝畜生公〟と恐れられていた。
美しい娘を見かければ、有無をいわさず攫ってきて思いのままに陵辱する。相手が人妻であろうが、全く頓着しない。移り気な嘉瑛は女を一夜限り弄んだ後は、見向きもしなかった。
側仕えの小姓が些細な過ちをすれば、激高して斬り殺す。そのあまりに情け容赦ないふるまいが〝畜生公〟と呼ばれるゆえんだ。
そんなある日、ひとりの下級藩士の若妻が散策中、藩主の目にとまった。いつものように、抵抗する若妻を供の者と二人がかりで乱暴してしまう。
後に、その若妻はそれを苦にして自害、彼女の親友お亀は亡き友の仇を討つため、男装して藩主の御前で行われる武芸大会に出場する。
懐には亡き親友の形見となった鈴を忍ばせて―
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お亀は今初めて、お香代の気持ちが判るような気がした。
いきなり見も知らぬ男に森で押し倒され、お香代もこんな辛い想いをしたのだ。
―でも、何で、私も。
「ひと思いに殺して」
哀願するお亀を、嘉利が面白そうに眺めて言う。
「そなたは殺さぬ。このような良き身体を持つ女をあっさりと殺しはせぬ。生意気なところは気に入らぬが、それもまたおいおい調教し、大人しくさせるのも愉しかろう」
こんな想いをこれからもするなんて、絶対にいや!!
お亀が舌を噛み切ろうとしたその時、顔を覗き込んだ嘉利が片頬を歪めた。
「申しきかせておくが、そちは死んではならぬぞ。もし、そちが自害でも致せば、そちの家族や―親類縁者、そうだな、死んだ女の亭主もろとも八つ裂きにしてやろう」
「そんな、酷い」
お亀が涙ぐむと、嘉利は嗤った。
「そちが酷いことをさせねば良いだけのことよ。そちさえ大人しく俺に抱かれれば、何も起こらぬ」
「私、何も悪いことをしたわけでもないのに」
どうして、自分がここまでこんな男にいたぶられ、嬲られねばならないのだろう。しかも死ぬことさえ許されず、辱めを受けなければならないなんて。
「このような可愛い獲物が自分から俺のところに飛び込んでくるのが悪い。つまり、そちが悪いのだ」
再び胸に覆い被さってきた男の頭が、涙で滲んだ。
たまらない厭わしさが身体中を駆け抜けた。男の頭を涙でぼやけた眼で見つめながら、お亀はふと袖の中で小さな音が聞こえたことで我に返った。
チリチリと涼やかな音色がかすかに響いてくる。
お亀は夢中で袖に手を差し入れ、鈴を取り出した。死に物狂いで手に持ったそれを振ると、鈴は愛らしい音を立てる。
チリチリ、チリチリリン。
―お香代ちゃんッ、助けて! 私、いやなの。こんな男の慰みものになんて、なりたくない。
お香代には唯一許された死すら、自分には望めない。この卑劣な男に、もし自分が生命を絶てば、大切な人たちを惨殺すると脅されたのだ。もとより、お亀の両親は亡くなっている。しかし、父親の跡を継いで村長となっている従兄やその妻子、お香代の良人小五郎の存在もある。
そんな人たちの生命までをも楯に取られれば、お亀には逆らうすべもないのだ。
お亀は亡き親友に心の中で助けを求めながら、懸命に鈴を振り続けた。
その時、お亀に覆い被さっていた嘉利が苛立った声で叫んだ。
「ええいッ、煩い」
それでもなお、お亀が鈴を振ろうとすると、嘉利が甲走った声で怒鳴った。
「何だ、煩い」
嘉利がお亀の手から有無を言わさず鈴を取り上げる。
「あ、返して」
お亀は手を伸ばして取り返そうとしたけれど、嘉利が舌打ちをきかせた。
「この鈴は、あの女が帯飾りにしていたものではないか。ええい、薄気味の悪い。死んだ女の持っていた鈴を何ゆえ、そなたが持っているのだ」
〝こんなもの〟と、嘉利が取り上げた鈴を放り投げた。鈴はチリリと音を立てて、畳に転がる。
「返して、返して下さい。あれは、お香代ちゃんの形見の鈴なのに。返して、返してよ」
お亀が身を起こそうとすると、嘉利にすぐに押し戻された。
「何をするのっ、いやっ」
お亀は泣きながら暴れた。
「全っく、往生際の悪い女だ」
嘉利が笑うと、お亀の身体を軽々と抱き上げた。
「さ、ゆるりと可愛がってやろうほどに、良い加減に大人しく致せ」
耳許で囁かれ、抱き上げられたまま運ばれてゆく。
嘉利は次の間に続く襖を無造作に開けた。
どうやら、この部屋はふた間続きになっているようだ。次の間は行灯の明かりがぼんやりと火影を投げかけているだけで、薄暗かった。ぼんやりとした部屋の中央に、錦の夜具が二つ整然と並んでいる。
その光景を眼にした途端、お亀から悲痛な悲鳴が洩れた。
「あ―」
今、漸く判った。自分は殺されるために、ここに連れてこられたのではない。この男の慰みものにされるために連れてこられたのだ。
「いやっ、放して」
渾身の力で暴れるお亀を、嘉利はぞんざいに褥に放った。お亀の身体は、これまで使ったこともないふかふかとした褥に受け止められる。そのせいで、乱暴に扱われた割には身体を打ち付けることもなかった。
「いやっ、お香代ちゃん。助けて、助けてえ」
お亀は泣いて手を差しのべた。
「あの女の名など呼ぶな。死人の名前なぞ今更聞きとうもないわ」
吐き捨てるように言った嘉利が、お亀の夜着を荒々しく引き裂いた。
「―いやっ!!」
お亀の唇から絶望的な声が零れ落ちた。
その唇を嘉利がすかさず塞ぐ。
貪るような、呼吸すら奪うような口づけが辛くて首を烈しく動かしたけれど、深い口づけは延々と執拗に続いた。
お亀のきつく瞑った眼から大粒の涙が次々に溢れ、したたり落ちる。
唇を深く結び合わせながら、嘉利は手慣れた様子でお亀の帯を解いていった。
身体中を這い回る男の手や唇を感じながら、お亀は大粒の涙を零し続けた。