韓流時代小説 寵愛【承恩】~王女の結婚~彼を見た瞬間、時間が止まったー宿命に導かれた紅順公主の恋 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】第三部

向日葵の姫君ーThe Princess In Loveー(原題の「王女の結婚)

ヒロイン交代!第三部はホンスン王女が主役を務めます。

韓流時代小説「王宮の陰謀」第三部。

わずか16歳で亡くなったとされる(英宗と貞彗王后との間の第一子)紅順公主には秘密があった?

幼なじみの二人が幾多の障害を乗り越え、淡い初恋を育て実らせるまでの物語。

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 礼曹判書の一人娘がジュンスを見初めたというが、なるほど、若い娘ならずとも女なら、彼に微笑みかけられて、その気にならない女はおるまい。
 もっとも、紅順はジュンスを幼なじみだと思っているから、見つめられただけで頬を染めることはないだろうが。この時、紅順はかつてジュンスと視線が合う度、胸の動悸が速くなったことなんて、すっかり記憶から抜け落ちていた。
「噂通り、陳家の次男坊は美しい殿方のようでございますね」
 隣で同じように息を潜めている柳尚宮が恍惚(うつと)りと溜息をついている。ちなみに、柳尚宮はいまだ独身である。
 世情に疎い紅順は知らないが、陳家の二人の子息はそれぞれ別の意味で何かと噂になるらしい。
 紅順は迷った。このままジュンスがいなくなるのを待って、黙って帰ることもできた。しかし、それでは折角の桃が無駄になってしまう。いや、もう正直に言おう。この時、紅順はジュンスに逢いたかったのだ。ずっとずっと、逢いたいと思っていた男(ひと)だった。
 果たして、自分を見た彼がどんな反応を示すかと考えると怖い。けれど、この機会を逃せば、もう次はないかもしれない。その想いが紅順をいつもりより大胆にした。
 逸る心に背を押され、紅順は一歩踏み出す。ガサリと、鮮やかな緑の葉をつけた茂みが揺れた。
 それは思いも寄らない再会だった。ジュンスの視線が動き、紅順を捉えた刹那、紅順の全身を駆け抜けた衝撃は何だったのか。そして、彼の深い夜色の瞳に走った烈しい感情の動きは何を意味していたのか。
 今日の紅順は王女のなりではなく、ピンク色の上衣に紅梅色のチマを合わせている。ちょっと見には上流両班の息女といった感じだ。
 二人はただ黙って見つめ合った。柳尚宮にチョゴリの袖を引かれなければ、紅順はずっと彼と見つめ合ったままであったかもしれない。
「公主さま」
 ハッとすると、柳尚宮が桃色の風呂敷包みを押しつけてくる。
 紅順は眼をまたたかせた。そう、お見舞いを渡さなければ。
「あのー」
 〝久しぶり〟も〝こんにちは〟も、ありきたりすぎる気がした。
 だが、悩む必要はなかったのだ。紅順が口を開くやいなや、ジュンスは冷たい一瞥を彼女にくれ、背を向けたからだ。
 紅順は茫然として、去ってゆく彼を見つめた。何も感動の再会を期待していたわけではない。彼の瞳が再会の歓びで輝くのを見たかったわけでもない。
 でも、ほんの少しくらいはー紅順が彼に逢えて嬉しいと思うその欠片ほどは彼も嬉しい、懐かしいと感じてくれるのではないかと、どこかで期待していたのだ。
 すべては紅順の独り相撲だった。八歳の秋の日、一緒に過ごしたあのひとときを後生大切な想い出として抱えていたのは、紅順だけだった。
 八年間、ずっと逢いたいと願っていたのも、紅順の一方通行な想いだった。何故だか、泣けてきた。でも、泣かない。だって、八年もの間、逢いたいと思っていたのは自分だけだったなんて、あまりに惨めすぎる。
 瞳に浮かんだ涙をまたたきで散らし、紅順は震える声で言った。
「お見舞いは廊下に置いてゆくわ」
 そのひと声で、柳尚宮が風呂敷包みを引き取り、廊下の日陰になっている場所に置いた。
 紅順はもう後は振り向かず、門に向かった。心得た柳尚宮は何も言わず、後ろをついてくる。だが、紅順の涙を柳尚宮はめざとく見ていた。有能な彼女はけして態度にも口にも出さなかったが、若い二人の一瞬の様子から、二人の間に漂う尋常でない雰囲気に既にこのときから気づいていたのだ。
 それは例えていうならば、烈しく惹きつけ合う引力のようなものであった。
 
    向日葵の姫君

 紅順は輿から降り立つと、小さな息を吐き出す。ここは高麗時代から連綿と続く名刹観玉寺である。
 一歩境内に足を踏み入れると、そこにはあたかも時を超越したかのような風景がひろがる。極彩色に塗られた壁と優雅な反りを見せる大屋根が実に印象的な金堂の土台となるのは、高麗時代の建築である。その時代時代に適宜手を加えられたことにより、各時代の様式が融合した独特の建造物となっている。
 観玉寺は都漢陽(ハニャン)からは、輿で数時間、馬でも一刻半は要する。徒歩であれば、まず一日がかりで、日帰りするには少々困難な道程だ。
 この御寺は紅順の母后も信仰しており、その関係で、彼女も幼時からしばしば母に連れられて参詣した。
 まずは本堂で本尊の観音菩薩に祈りを捧げる。金無垢の観音像は見上げるほどの偉容で、両脇に脇侍の仏が控えている。すれ切れた座布団が板の間に置かれており、参詣者はそこで観音像に祈るのだ。
 紅順は水晶の数珠を手にかけ、立ち上がっては座ってひれ伏す。五体投地を繰り返すのだ。その傍らで、柳尚宮も神妙な面持ちで女主人に倣った。
 祈りを捧げた後は老住職に挨拶し、ひとしきり話をしてから、金堂を出た。短い階(きざはし)を降りようとしていた時、対向から歩いてくる長身の人影が視界に入った。
 薄鼠色の地味なパジチョゴリに、帽子(カツ)を目深に被っているため、相手の顔は判じ得ない。すれ違い様、紅順はどこの誰とも知れない相手に礼儀として軽く会釈した。刹那、相手がヒュッと息を呑む音が聞こえ、紅順は訝しさを憶え振り返る。
 紅順のすぐ後ろに立つ男がわずかに帽子を持ち上げた。今度は紅順が身を強ばらせる番だった。
「ージュンス」
 まるで吐息のような儚い呟きで口にした名は、紛うことなく紅順がずっと逢いたいと願っていた男の名だ。
「どうして」
 言いかけた彼女の質問を皆まで聞かず、彼は口を開いた。
「この間はーありがとう」
 それから慌てて付け足した。
「立派な桃を」
「いいえ」
 紅順は消え入るような声音で応えた。ジュンスの父の見舞いに陳家を訪れたのはふた月近く前のことだ。あの時、たまたまジュンスが父に酷く叱責を受けているのを目撃してしまった。あのときのジュンスの視線の冷たさは、忘れようとしても忘れられるものではない。
 再会を待ちわび、歓んでいたのは自分だけにすぎなかったと嫌というほど思い知らされたのだ。
 七月上旬の陽差しは容赦なく照りつけてくる。二人はどちらからともなく陽光を避け、金堂の大屋根が作る日陰へと身を寄せた。本堂正面の扉はいつも開いて、参詣した者を迎え入れる。それは悟りを開いた御仏があたかも苦しみ多き衆生をためらいなくその腕(かいな)に抱き入れようとしている姿にも似ていた。
 今、二人は他の参詣者の邪魔にならないよう、開いたままの扉前より少し横ー壁沿いに並んで佇んだ。柳尚宮は開いた扉の右側にいる二人の邪魔にならないよう、左側に控えている。かなりの距離があるため、話の内容は聞かれる心配はない。
「今日は母の命日なんだ」
 今日のジュンスは二ヶ月前の冷淡さが嘘のように、屈託ないように見える。
「そうね」
 紅順が頷くのを見て、ジュンスは言葉を継いだ。
「不思議なこともあるものだ。母の命日に墓参に来たら、あなたに逢うだなんて」
 紅順は微笑んだ。
「私は大抵、インチョンの月命日には、ここに来るのよ」
「そうなのか? 俺も母の月命日には来るのに、一度も会ったことがない」
 彼が愕きを見せるのに、紅順は笑った。
「たまに、どうしてもその日に来られないときもあるから」
「そうか。多分、入れ違いになっていたんだな」