韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁〜遊女になってでも生きてー王妃の母、娘への切ない願い | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】
~100日間の花嫁~
 第二部  第三話 冬の足音 
 
前作「炎月」から6年が流れた。
国王英宗のただ一人の御子、紅順公主の母、殿としてときめくセリョン。
国王の寵愛を一身に集める中殿キム氏に周囲から世子誕生の期待がかかる。その重圧に耐えかねるセリョンだったが―。
ある日、「王妃の父」だと名乗る両班が現れた。
そんな中、英宗が溺愛する一粒種の王女が誘拐される。
―私はどうなっても良いの、あの子を無事に返して。
果たして、セリョンの涙の願いは届くのか?
陰謀渦巻く伏魔殿「王宮」で、新たな謀の幕が開く―。
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 ただ、今、名乗り出れば、野心ゆえだと悪し様に言われるのが判っていながら名乗り出るほど、ソクチェが愚かだとは思わない。その辺り、この男が何を考えているのかまでは流石に英宗も判らなかった。
 ソクチェの四角い顔にうっすらと笑みが浮かんだ。
「何がおかしい、俺は何かそなたを笑わせるようなことを申したか?」
 英宗がムッとした表情で言うのに、ソクチェは頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、殿下のそのお言葉は端から覚悟しておりましたゆえ」
「覚悟だと?」
 ソクチェは深く頷いた。
「さようです。私もさんざん悩みました。三日前、大殿の執務室まで殿下をお訪ねするまでも迷いました。ですゆえ、領相大監がおいでになったのをこれ幸いと、失礼したのです。あのときになっても、まだ私は迷っていたからです」
「だから、中殿の話をしたいと言いながら、なしのつぶてだったというわけか?」
「さようです」
 ソクチェはひたむきな眼で英宗を見た。
「今になって私が中殿さまの父だと名乗り出たとしても、得になるよりは損の方が多いでしょう。確かに畏れ多くも殿下の義父、舅であるという地位は誰もが羨むものです、ただ、中殿さまには既に領相大監というご立派な後ろ盾がおありだ。今更、私ごときがしゃしゃり出たら、あの御仁に睨まれるは必定、しかも周囲からは王妃の父の立場欲しさ、出世のために一度は捨てた娘の父親面をして、のこのこと出できた―、かように言われるのが関の山です」
「痛くもない腹を勘繰られるというわけか」
「おっしゃるとおりです。ですから、私は叶うなら名乗り出たくはなかった」
「では、どうして名乗り出た? このまま陰ながら娘の幸せを祈っていれば問題はなかろう」
 ソクチェは首をやや傾げた。
「殿下は領相大監をどう思われますか?」
 英宗は息を呑む。即答はできかねる問いであった。そういえば、と、彼は思い出す。三日前にセリョンの話を持ち出す前にも、ソクチェは似たような問いを王に投げかけていた。
 チャン・ソクは表面は国王派だと見なされている。王妃の養父という立場であれば、当然だろう。けれど、英宗はソクの腹の内は違うと読んでいた。若い王の好きなようにさせておきながら、一方で自分の足場を着々と固め、ついには英宗を無視して〝王命〟と称して政を私しようとしている。
 英宗が義父ゆえ遠慮して専横を見過ごしていると、ソクは読み間違えている。妻の父だから多少は大目に見てきたのは否定しないが、実のところ、英宗はソクを泳がせているにすぎない。いずれ更に度を超した過ちをするに違いないから、それを待っているだけだ。眼に余ると判断したときは迷わず罷免するつもりでいる。
 セリョンの実父という立場は別として、ソクチェはソク以上に腹の底が見えない食わせ物だ。
「私は中殿さまのおんゆく末が心配です」
 ソクチェは真剣な表情で言った。
「セリョンの将来が不安?」
「領相大監の専横ぶりは近頃、つとに眼に余るところです。さりながら、あの方の地位と権勢を恐れ、誰も諫める者がいないというのは嘆かわしい現状ではありませんか。中殿さまはあの男にとって今や金の卵を産む雌鳥のようなものです」
「無礼な、この国の王妃を雌鳥に例えるな」
 英宗が心底嫌そうに言うと、ソクチェは笑った。
「ご無礼、お許し下さい。ですが、殿下、領相大監は中殿さまを利用するだけ利用するつもりでしょう。あのような男に大切な中殿さまを任せて良いのでしょうか」
 英宗は押し黙った。ソクチェは皆まで言わないが、彼の言いたいことは判った。セリョンはあの通り、曲がったことは大嫌いな性分だ。この先、俗物のソクはセリョンを権力のために利用するに違いない。だが、正義感の強いセリョンとソクが対立することも大いにあり得るわけで。その時、実の娘でもない王妃はソクにとって利用価値もなく、単なる目障りになるだけだ。
  そうなった時、ソクがセリョンを消そうとしても何の不思議もない。
「当面、中殿さまが王子をお生みあそばされるまでは領相大監も手は出さないでしょうが、判ったものではない。巷では、あの御仁が中殿さまが王子を生み奉るまで待っておられず、自分の孫と紅順公主さまを娶せた上で謀叛を起こして孫を王とするとまでいわれております」
 三日前、執務室に訪ねてきたソクに英宗は石を投げてみた。即ち幼い王女をソクの孫に降嫁させるという提案だ。英宗は元々は大王大妃が言い出したこの縁組みを否定し、将来的には王女に王位を譲る可能性も示唆した。
 あのときのソクの反応は、正直、彼には想定外以外の何ものでもなかった。ソクチェが案ずるようにいずれ我が孫を王に立てる野心があるなら、王女は野心成就のためには必要な駒になる。だから、ソクはおかしいほど狼狽えたのか。いつも取り乱さぬあの男が何故ああまで動揺するのか、ある意味、見物ではあったが。
 あのときの自分の言葉はソクを何故激しく揺さぶったのか。王女が謀叛のために必要だとしても、あの狼狽ぶりはいささか大袈裟すぎはしないか。そこに大切な応えが隠されていると思うのだが、曖昧模糊として摑みきれない。
 王女がいなくても、謀叛は起こせる。ただ、何事にも〝大義名分〟が重要で、〝先王の直系である王女の婿〟という立場こそが〝謀叛〟に正当性を与えてくれるのだ。その正当性が名分である。単に政変を起こして王位を簒奪すれば、それは良く言えば前王朝を滅ぼして新しい王朝を建てたという話になるだろう。逆に言えば、単に正当な王位継承者を殺して、王位を暴力的に奪い取った略奪者に成り下がる。謀叛を正当化するならば、王女は何としても欲しいところだ。
 だとしても、やはり、あの動揺は度が過ぎていると思わざるを得ないというのが英宗なりの見方だった。
 ソクチェは深々と頭を下げた。
「娘を棄てておきながら今更、父親面はできないのは判っております。ただ、何もしてやれなかったからこそ、余計に中殿さまの御事が気がかりです。どうか殿下、領相大監にはくれぐれもご注意下さい。あの方は腹の底の知れぬ恐ろしい御仁であると、ゆめご油断なさいますな」
 英宗は最後にソクチェに問うた。
「父子の名乗りはどうする?」
 ソクチェは真正面から英宗を見つめた。
「いいえ、私は今になってあの方に父と名乗る資格はありません。それはもとより重々自覚しております。私が恥を忍んで殿下に真実をお話ししたのはひとえに中殿さまの御事をお願いし、チャン・ソクにはご用心して戴きたいことをお知らせするためでした。これ以上は何も望みません」
 ソクチェの両の眼(まなこ)は晴れ渡った秋の空のように澄み渡っている。ああ、やはり、この男は最愛の妻の父なのだと今更ながらに思った。
 ソン・ソクチェの瞳は星を宿した夜空のごとく一点の曇りはなかった。
 
 
 数日後、英宗は一人、町外れにいた。いかにも下町らしく粗末な一軒家が軒を連ねて建っている。その一つの前に佇み、おとないを告げた。
「誰かおられるか」
 何度か呼ばわり、やっと内から戸が開いた。
 見れば、小さな男の子と女の子が二人、英宗を見上げている。
「なに?」
 年嵩らしい男の子が無愛想に訊ねた。九つくらいだろうか。英宗は少年と同じ眼線になった。
「家の人はいるか?」
 少年は首を振る。傍らの女の子は五歳ほど、丁度、彼の娘と同じくらいだ。粗末な身なりをしていても、チマチョゴリはきちんと洗濯して清潔だ。彼は眼の前の少女に紅順王女を重ねた。
「ばあちゃん(ハルモニ)なら、市場にいるよ」
 女の子は利発そうで、黒い瞳がキラキラと光を放っている。英宗は頷き、袖から空色の巾着を取り出した。
「わずかしかないが、お菓子でも買いなさい」
 男の子がすかさず手を出そうとし、妹らしい方が兄の手を摑んで引っ張った。
「おじさん(アデユツシ)、あたしたち、貧乏だけど、施しを受けるほど落ちぶれちゃいないんだよ」
 黒い瞳が挑戦的に輝いている。
 英宗は少女に笑いかけた。
「判っている。私は何もそなたらに施しをしたつもりはない。私にもそなたと同じ歳頃の娘がいる。そなたを見ていると、つい娘を思い出してしまった。娘に好きなものを買いなさいと言っているつもりで口にした。だが、私の言い方が悪かったのなら、この通り謝ろう。だから、これを受け取ってくれるね」
 女の子が応える前に、兄が巾着をさっとかすめ取った。
「兄ちゃん、ハルモニがいつも言ってるだろ。無闇に他人さまから物を貰うのは恥ずかしいんだって」
 英宗は首を振った。
「構わないさ。二人でお菓子でも買ってくれ」
 彼が背を向ける前に、扉は鼻先で大きな音を立てて閉まった。
 英宗は溜息をつく。これがこの国の現実だ。貧しい者は生まれ落ちたそのときから、ずっと貧しい。幾ら身を粉にして働いても、暮らしは楽にならない。