韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁~後宮の女は王の御子を生んで安泰ー王妃の次の懐妊は | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

韓流時代小説 寵愛【承恩】
~100日間の花嫁~
 第二部  第三話 冬の足音 
 
前作「炎月」から6年が流れた。
国王英宗のただ一人の御子、紅順公主の母、殿としてときめくセリョン。
国王の寵愛を一身に集める中殿キム氏に周囲から世子誕生の期待がかかる。その重圧に耐えかねるセリョンだったが―。
ある日、「王妃の父」だと名乗る両班が現れた。
そんな中、英宗が溺愛する一粒種の王女が誘拐される。
―私はどうなっても良いの、あの子を無事に返して。
果たして、セリョンの涙の願いは届くのか?
陰謀渦巻く伏魔殿「王宮」で、新たな謀の幕が開く―。
**********************************************************************************

 

 英宗を育てた保母尚宮であった前提調尚宮、更に廃位された英宗の異母兄晋山君、今はこの世に亡き彼の両親と晋山君の母元大妃、この秘密を知る者はわずか数人のみだ。
 とはいえ、彼らは故人であったり、生存者も王宮にいる人ではない。現状、朝鮮の王が海のような蒼い眼をしていると知るのはセリョンのみである。
 英宗はこの左眼のせいで、幼いときから義母や異母兄に〝化け物〟と蔑まれ、世子となってからは何度も刺客に生命を狙われた。セリョンと知り合ったのも彼が兄に放った刺客に斬りつけられ、町外れに倒れていたところを助けたのが縁だった。
 セリョンと出逢い、孤独な彼は初めて暗闇の中にひと筋の光を見出したのだ。三十歳の英宗は、美男ぶりにやや落ち着きや威厳というものが加わった。鼻下にたくわえた髭もかつての彼にはなかったものだ。即位まもなくから民のために善政を敷いた賢王の下、内政は落ち着いており、英宗は聖君として民衆から絶大な支持を得ている。
 中でも彼の人気を高めているのが、年貢米の軽減だろう。干ばつの年には年貢を徴収しないなどと大胆な政策を打ち出し、農村では英宗を本当に仏の化身だと崇める者までいるという。だが、王や王族、両班といった特権階級を頂点として成り立つのが朝鮮の社会である。当然ながら、特権階級を支えるのが下層の民衆だ。
 英宗の政策は民衆からは歓迎されたものの、両班たちはこぞって反対した。その反対を押し切っての王命である。もちろん両班の中にも清廉な官吏はいる。が、あくまでも王を支持するのは少数であり、大勢は民の負担の軽減によって自分らの実入りまでが減ることをちゃんと心得ていた。
 朝廷では民のための政治を行おうとする国王と、自分たちの利権は守りたいという廷臣たちとが静かな対立を続けている。英宗は身分に拘らず誰にでも優しいが、反面、苛烈な一面を持っている。自らに従わない者、反旗を翻す者には容赦ない。
 時として別人のように非情になる王を恐れ、表立って敵対する臣下はいない。しかし
―国王殿下(チュサンチョナー)はいかになんでもやり過ぎた。
 と、英宗の政治に批判的な者は実は少なくはない。
―民に迎合するのは結構。さりながら、我が国は我々両班を戴く身分社会であり、その真上に立つのがご自身だということを殿下は忘れておられるのではないか。
 英宗は民意を気にしすぎるあまり、自分で自分の足場を崩しているのではないか。と、あまりに民だけに比重を置いた政は、王としての英宗自身の立場を危ないものにしていると指摘する者もいた。
 とにもかくにも、水面下でこの国王対反国王派の対立は少しずつ熾烈さを増していって、一触即発の危機をも招きかねない状況ではあった。
 臣下たちから畏怖される王も、家庭では良き良人、父親である。英宗はしゃがみ込んで、紅順と同じ眼線になった。
「よし、それでは今度はこの父とお手合わせ願えますか、王女」
 西洋の騎士のように跪き恭しく言う父に向かい、王女は瞳を輝かせる。
「歓んでお受けしますわ」
 こましゃくれた物言いがその場の笑いを誘い、セリョンとホンファは顔を見合わせて微笑む。
 蹴鞠が始まった。英宗が手加減しているのは明らかだが、紅順はまるで気づいていない。眼にも彩な鞠が空高く蹴り上げられる。セリョンは微笑んで父子のやり取りを見つめており、ホンファはその背後からなりゆきを見守った。王の予期せぬ登場で、我が身が王女の対戦相手にならずに済んだのはホッとした。
  それにしても、と王妃の盛装に身を包んだセリョンの後ろ姿を見て思わずにはいられない。
―我が中殿さまのお美しいこと。
 この五年で英宗が凛々しい美丈夫ぶりに貫禄と重みを加えたとしたら、セリョンの美貌にはますます磨きがかかったといえるだろう。五年前は漸く開いた大輪の花であった王妃は、今や妖艶さを帯びた盛りの花といえよう。爛熟した女性としての匂い立つような色香がふとしたまなざしや挙措から零れんばかりだ。
 当人が己れの空恐ろしいほどの美貌をとんと理解していないところは以前と変わらない。その不均衡がまた王妃の得難い魅力であるのも変わらず、妖しい美しさを備える大人の女がふと見せる少女めいたあどけなさがほの見える。五年間、王は王妃一人を熱愛し続け、他の女が国王夫妻の間に立ち入ることさえできなかった。
 七年前には清国から皇帝の孫だという姫が遣わされ、英宗の初めての側室となった。あの時、ホンファの方が気の毒になるほど王妃は苦しんだ。結局、側室華嬪は朝鮮に来て四ヶ月ほどで亡くなった。早死にした薄幸な側室に追い打ちをかけるようなことは言いたくはないが、仮に華嬪が夭折せずに生きながらえていたとしたら―。
 考えるだに恐ろしい。英宗は当時、明らかに華嬪に男としての情を抱いていた。あのまま華嬪が朝鮮の後宮にとどまり続けたら、いつか華嬪は英宗の御子を産んでいただろう。英宗とセリョンは運命で結ばれた恋人同士だとホンファは信じている。
 英宗がセリョンを見捨てることも、セリョンから心が離れることもないだろうが、英宗は華嬪をもまた女として慈しんだはずだ。いかに英宗がセリョンだけと誓おうが、男は女と違い、同時に二人以上の女を愛せるのをホンファは知っている。自身に色事の経験はないけれど、人妻、母となってもいまだどこか初心(うぶ)なセリョンよりは、まだ自分の方が幾ばくかは色事について知識はあると自負していた。
 もし、そんなことになっていたとしたら、セリョンは女の生き地獄を味わうことになっていたはずだ。華嬪が花の生命を散らしたのは気の毒ではあったが、ホンファにとってはむしろ天の采配とも思えてならなかった。もっとも、優しいセリョンはホンファがこんなことを言えば、哀しむに違いない。だから、ホンファのこの想いは死ぬまで誰にも告げないつもりだ。
―早く中殿さまに次の御子が授かれば良いのに。
 どうしても気持ちは逸る。もしかしたら、当のセリョンより側にいるホンファの方が切実に願っているかもしれない。どれだけ王の寵愛が厚かろうと、所詮御子の有無、引いては世継ぎを上げたかどうかが後宮の女の立場を決める。セリョンは既に英宗の第一子を上げており、その分では御子がいないよりははるかに立場は強いだろうが、やはり世子の母に及ばない。
 王妃であろうが、側室であろうが、とにかく先に王子を生まなければ真の意味で安泰はない。だからこそ、ホンファはセリョンが懐妊するのを一日千秋の想いで待ちわびている。
 このこともまたセリョンにはけして言えない。セリョンも英宗も第二子についてはのんびりと構えていて、積極的に授かろうとまでは考えていないようなのだ。基本的に、ホンファは私用で休暇を取ることはない。彼女は中流どころの両班の娘ということになっているけれど、実際は郊外の鄙びた農村で生まれ育った。
 叔母が器量良しであったのを見込まれ、都の両班家に女中として仕える中に、当主の手が付いた。気立ての良い優しいところを気に入られ、正室の死後、側室から正室に直して貰い、跡取りのない家に何故かホンファが利発だからと養女として引き取られたのだ。
 六年前に寝付いた養母(叔母)は二年前の春、逝った。そのため、叔母が生きている頃はそれでもたまに里帰りしていたのだが、今は実家に帰ることもない。養父である義理の叔父は叔母の死後はホンファよりも若い側室を早々と迎え、去年、待望の男児が生まれた。二人の妻、数人の側室いずれもが身籠もらなかったため、養父は既に子は諦めていた。そんなところに若い側室が跡取りを生んだものだから、狂喜して溺愛している。
 最早、実家にホンファの居場所はない。ところが、ホンファは一年前からひと月に一度くらい休暇を願い出るようになった。セリョンはそれを恋人でもできたのかと良い方に誤解しているようだが―。現実はまるで違う。
 ホンファは実は、寺に詣でているのだ。その寺はセリョン自身も信仰している寺で、都からだと輿で往復丸一日はかかる。その御寺で彼女はひそかに中殿の懐妊祈願を行っているのだった。ホンファは何としてでもセリョンに世子の母となって欲しい。肝心のセリョンに正直に言えば止められるのは判っているので、ホンファは誤解されるままに真相は話していない。
 いにしえから、願いは成就するまで他人に話してはならないという。だから、自分に新たに恋人ができたとセリョンが誤解しているならかえって好都合なのかもしれない。
 ふと見上げれば、澄んだ秋の空がひろがり、優しい陽差しが石畳に落ちている。
「父上さま、行くわよ」
 王女が勢いよく蹴り上げた鞠が高く跳ね上がり、蒼穹に吸い込まれそうだ。ホンファは眩しい陽の光に思わず眼を細めた。
 ホンファに恋が訪れたと歓んでくれているセリョンには申し訳ない気もするけれど、願いが叶って真実を王妃その人に打ち明ける日が来るのが愉しみでならない。
 ホンファは一人、その日を想像して笑みを零したのだった。