韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁~国王と華嬪の初めてのキスー英宗の心が哀しみに揺れる | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説  寵愛【承恩】第二部
   ~100日間の花嫁~
第一部で初恋を実らせ、ゴールインしたムミョンとセリョン。お転婆で涙もろい遊廓の看板娘が王妃になった! 新婚蜜月中の二人にある日、突然、襲いかかった試練。何と清国の皇女が皇帝の命で朝鮮王の後宮に入ることに。ー俺は側室は持たない。
結婚時の約束はどうなる?しかもセリョンが降格の危機に。しかも、若い国王の心が次第に側室に傾き始めて?
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 実の両親の顔を知らない華嬪にとって、沈尚宮が真の母も同然のひとだ。そのひとをここまで哀しませてまで叶えたい願いとは―。
 恐らく沈尚宮が知れば、あの方を筋違いに恨めしく思うだろう。だから、華嬪は忠実無比な乳母には話せなかった。
 どうか恋い慕う方の帝王として進まれる道が平らかなものでありますように。この朝鮮にいやさかの平穏がもたらされますように。
 華嬪にとっての祖国とは、もう清ではない。愛する男性がいるこの朝鮮となった。そう、かつて王妃キム氏が自分に言い聞かせたように、我が身は既に朝鮮に嫁したのだ。
 せめて最期は愛する男の幸せを願いながら、この国の人間として逝きたい。今となっては、華嬪にはその想いしかなかった。
 王妃とはこの国に来た当初は、色々と衝突があった。とはいっても、専ら子ども過ぎた我が身が徒に王妃に対して反発していたに過ぎなかった。王妃はいつも泰然と微笑んで受け流していたのに、ある日、華嬪が超えてはならない一線を越えて―彼女が妓房で生まれ育ったことについて侮辱したために、王妃が初めて華嬪を真っ向から戒めたのだ。
 あのときは恥ずかしかった。王妃の言うことはいちいちもっともで、逆らいようはなかったからだ。既に十五歳にもなりながら、年長であり後宮では格上である王妃に対して、あまりにも無礼な口のききようであった。しかも、本人の人柄や徳とは関わりない出自にまで触れ、相手を貶めた。
 あからさまに我が身の失態を指摘され、華嬪は激高して王妃の頬を打ってしまったのだ。
 けれど、後に王妃は泣いている華嬪を優しく慰め、子守歌を歌ってくれた。あのときの王妃はまるで祖国の御寺で見た観世音菩薩のように優しげな微笑みを浮かべていたのだ。
 遠い異国へ嫁いだ心細さから、朝鮮に来たばかりの自分は毛を逆立てた子猫のように王妃に噛みついてばかりいた。そんな華嬪を姉のように厳しく優しく教え諭し、異国の後宮でどのように生きてゆくべきか身をもって示した女性、それが中殿キム氏だった。華嬪にとって、今や王妃は眩しい憧れの女性だ。
 国王の王妃への愛の深さを知り、王妃その人に対しても姉のような慕わしさを憶える今、華嬪は二度と二人の仲を引き裂こうというつもりはない。むしろ、自分などが二人の間に立ち入るのは不可能といえるだろう。
 華嬪は小さな溜息をつき、ゆっくりと再び褥に身を横たえた。最早、四半刻と起きていられない。
 心優しい乳母が嘆く様を想像したくはないが、愛する男との別れは刻一刻と近づいている。覚悟していたつもりだったけれど、流石に死は怖い。華嬪は湧き上がってきた死の恐怖に呑み込まれまいと、固く眼を瞑りそれしか縋るものがないかのように上掛けをギュッッと握りしめた。
 
 青々とした葉が水面を飾り、一面を大輪の蓮花が飾っている。
 七月終わりのこの日、王宮の蓮池はまさに蓮の花が満開であった。その朝、英宗は華嬪を庭園の蓮池に連れてきた。
 池面に浮かぶ花の色はピンク、純白、鮮やかな紅と様々である。中には真白にほんのりと紅が混じった美しい色合いのものもあり、華嬪はひとめ見るなり、歓びの声を上げた。
 華嬪は歩くだけの体力がないため、内官たちが担いだ輿に乗ってここまで移動し、二人の尚宮たちに支えられて四阿の奥部―椅子にやっとのことで腰を下ろしたのだ。
 頬を紅潮させて池を見ようとする華嬪に、王が近づいた。英宗は華嬪を軽々と抱き上げ、四阿の真正面まで連れていった。ここからであれば池全体が見渡せる。
「どうだ、この場所ならよく見えるだろう?」
 笑みを含んだ声で囁かれ、華嬪は王に抱き上げられたまま頷いた。
「とても綺麗。殿下、ありがとうございます。こんなに綺麗な蓮を見たのは生まれて初めて」
「毎年、ここの蓮は見事だが、今年は殊に美しいようだ。何か心に訴えかけてくるような気がする」
 英宗が華嬪に悪戯っぽく笑いかけた。
「そなたと共に見ているからかな」
「まあ、殿下ったら。他の女官にも同じようなことをおっしゃっているのではないでしょうね」
 背伸びする華嬪を王は慈しみのこもった眼で見つめている。
「ホホウ、いつから華嬪はそのようにませた口をきくようになったのだ」
「私はもう大人です、子どもではありません。いつまでも子ども扱いしないで下さい」
 わざとつんと顎を逸らし、それから王と二人、顔を見合わせて微笑み合う。知らない者が見れば、本当に幸せそうな若い王と可憐な妃の睦まじい光景であったに違いない。
 ふと笑いが消え、華嬪が真顔になった。
「私のために殿下と中殿さまの仲を引き裂くようなことになってしまいましたわね。本当にごめんなさい」
「気にするな、何度も言ったはずだ。そなたのせいではない」
と、王の秀麗な面が引き締まった。ほのかな熱が瞳の奥に点る。
 華嬪と英宗は束の間、黙って見つめ合った。その瞬間、二人の間には確かに何らかの感情が流れていた。
 王の男性にしては長くきれいな指が知らず伸び、華嬪の顎にかかった。人差し指で優しく彼女の顔を持ち上げる。華嬪の黒い濡れたような瞳をしばらく王は熱のこもった眼で魅入った。
 それは王その人ですら、意識していない間の行為だった。王の顔がごく自然に華嬪に近づく。華嬪は少し愕いたかのように大きな瞳を見開いていた。
 そのまま王の唇が華嬪の珊瑚色の唇に重なろうとした時ー。
 一陣の強い風が二人の間を駆け抜けた。
 王がハッとしたような表情になり、想いを振り切るかのように緩く首を振った。
 二人の間で止まっていた時間が再び動き始めた瞬間だった。
 王がつと手を伸ばし、ごく自然な仕草で華嬪の黒髪を撫でた。
「余計なことを気に病まず、早く良くなってくれ。また来年も庭園のこの蓮を共に眺めよう」
「はい」
 華嬪が弱々しく手を差し伸べ、英宗はその手を取って愛しむかのように手の甲を優しく撫でた。
「約束ですわよ」
「ああ、約束しよう」
 それは二度目の約束だった。
「ああ、幸せ―」
 儚い囁きは王の耳には届かなかった。
 華嬪の眼に涙が盛り上がり、つうーっと滴が頬をつたい落ちる。
―春も夏も秋も夜も。
 今日も明日もその次もまたその明日も。
 叶うことなら、あなたと一緒に歩きたかった。ずっとずっと、あなたの側にいて、あなたと共に歳を取ってゆきたかった。
 でも、私にはそれが叶わないみたい。
 だから、ずっとずっと祈っている。
 あなたの幸せだけを―
 刹那、池面を強い風が駆け抜けた。気紛れな風はひっそりと開く花たちをかすかに揺らす。
「華嬪、風が強くなってきた。そろそろ殿舎に戻ろう」
 英宗が腕に抱いた華嬪の顔を覗き込んだ時、彼女は眼を瞑っていた。
「華嬪、華嬪? 眠ったのか」
 王は妃の様子がおかしいことに気づき、叫んだ。
「華嬪、華嬪っ」
 尋常でない雰囲気に、付き従っていた御医が急いで近づいてくる。
「失礼致します」
 この医官は華嬪が倒れたときからずっと診てきた者だ。彼は慎重に華嬪の様子を確かめ、最後に彼女の口許に手をかざし息遣いを確認した。既に呼吸は止まっていた。
「華嬪さま、ご崩御にございます」
「馬鹿な」
 英宗が振り絞るような口調で言った。
「今まで朕の腕の中で笑っていたというのに」
 そんなことがあって良いものか。何と天は残酷なことをなさるものか。
 英宗は大声を上げて叫びたい衝動を堪え、華嬪を抱く腕に力を込めた。
 背後では、華嬪に仕えていた二人の尚宮や女官たちの慟哭が聞こえてくる。
 華嬪の頬には幾筋もの涙の跡があった。英宗は人差し指でその涙をぬぐい、白い面に顔を近づける。そっと蝶の羽根が掠めるように亡き女の眼尻に堪った滴を吸い取り、既に吐息を零すことのない唇に自らの唇を重ねた。
 王は緩慢な動作で蓮池を眺めた。つい先刻、二人で眺めた蓮池を今はもう一人で眺めている。孤独がこんなにも身に迫ったのは初めてのことだ。
 色鮮やかな花たちが涙の幕の向こうで滲んだ。
 英宗は華嬪の亡骸を輿に乗せて運ぶのを許さず、自らが背負った。
「約束したではないか。来年もまた一緒にここで蓮を見ようと約束したばかりなのに、そなたはこんなにも容易く約束を破るのか」
 彼は物言わぬ華嬪を背負い歩きながら、泣いていた。たった今まで、華嬪ははにかんだり微笑んだり、彼に抱かれて微笑んでいた。なのに、今はもう眼を閉じ、その愛らしい瞳が開くことは二度とない。
 既に息絶えたと判っていながら、背に感じる華嬪の身体の温もりが英宗は無性に哀しかった。妃を背負い泣きながら歩く王の後ろ、華嬪に仕えていた者たちもまたすすり泣きながら、哀しみに満ちた行列は静かに亡き人が暮らしていた殿舎に向かった。