韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁~朝鮮に嫁した幼い側室の哀しみーセリョンの心は揺れる | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 100日間の花嫁
~「寵愛【承恩】~第二部
第一部で初恋を実らせ、ゴールインしたムミョンとセリョン。お転婆で涙もろい遊廓の看板娘が王妃になった! 新婚蜜月中の二人にある日、突然、襲いかかった試練。何と清国の皇女が皇帝の命で朝鮮王の後宮に入ることに。ー俺は側室は持たない。
結婚時の約束はどうなる?しかもセリョンが降格の危機に。しかも、若い国王の心が次第に側室に傾き始めて?
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 セリョンが久しぶりに姫金魚草を見てみたいと思ったのは、女官長からの報告を受けた四日後である。何故かは自分でも判らないけれど、蓮池には脚を向けても姫金魚草を見にいこうとは思わなくなってしまっていた。亡くなった児の代わりだと成長を愉しみにしていたのに、どうして急にそんな風に思うようになったのか。自分で自分の心が掴めない。
 セリョンはいつものようにホンファだけを連れ、庭園に向かった。
 今日は蓮池にはゆかず、真っすぐに姫金魚草の植わっている場所に来た。そこに予期せぬ人物を認め、セリョンは息を呑んだ。
 小柄な後ろ姿は紛れもなく華嬪だ。背後のホンファも愕いている気配が伝わってくる。セリョンはそのまま歩みを進めた。足音に気づいたらしく、華嬪が振り向いた。
 今日の華嬪の装いは濃紺のチョゴリに眼も覚めるような深紅のチマだ。十五歳という年齢にはいささか地味すぎるようにも思えるけれど、色の白い彼女の可憐さをより際立たせている。後頭部で結った漆黒の髪には珊瑚の蓮が咲いていた。
 少し離れた後方には清国から付き従ってきたシム尚宮が控えている。シム尚宮は華嬪の乳母をも務めた女性であるという。ならば、祖国を離れてたった一人、遠い異国に嫁してきた華嬪には何より心強い味方だろう。養い君と乳母の関係は時に実母のそれよりも確固たるものだ。
 華嬪が常のように仰々しいほどのお付きを従えてないことに、セリョンはどこかでホッとした。
「姫金魚草はお好きですか?」
 セリョンが親しみを込めて声をかけると、華嬪は頬を赤らめた。
「花を見て歓ぶなど、童のすることです。私はそのような子どもではありません」
 つんと顎を逸らす。熱心に花を見ているのが子どもっぽいと思われたと勘違いしてしまったようである。
 華嬪と顔を合わせるのは、一ヶ月前、蓮池のほとりの四阿で頬を打たれて以来だ。もちろん同じ後宮内で生活しているから、遠目に見かけることは多々ある。しかし、お互いに距離を置いた方が賢明だと暗黙の中に避けているのは事実だ。
 前回の騒動を考えれば、ここはまず華嬪がセリョンに謝罪を示すべきである。残念なことに、異国の我が儘なお姫さまは基本的な礼儀すら身につけておらず、そもそも騒動の非は自分にあるとさえ考えていないのだろう。
 ここは年長であり現在は王妃たる我が身が大人になるべきだ。セリョンは判断し、華嬪に温かな微笑を向けた。
「美しきものを愛でるのに、年齢など関係ありませんよ。この花がお好きなら、よろしいではありませんか」
 セリョンは華嬪が右手に何やら握りしめているのに気づいた。視線を感じたのか、華嬪が慌てて片手に持っていたものを袖に突っ込んだ。よほど大切なものか、右手にしっかりと握りしめていたが、袖にしまうには大きすぎたようで、それは地面に落ちて大きな音を立てた。
「大変」
 華嬪がしゃがみ込み、地面に膝をつく。綺麗なチマが汚れるのも厭わず、落ちた小箱を拾い上げた。気の毒に、箱は落ちた衝撃で蓋が外れてしまったようだ。
「どうしよう」
 華嬪は立ち上がったものの、それこそ子どものように泣き出した。
「どうなさいましたか?」
 セリョンは近づき、華嬪に優しく問うた。
「箱が―大切にしていた宝石箱が壊れてしまったわ」
 華嬪はいつもの身構えるところもなく、ひたすら壊れた小箱で頭が一杯で何も考えられないようである。
「見せて下さいませんか」
 セリョンの申し出にも素直に従い、小箱を差し出した。セリョンは受け取った小箱を慎重に試す眇めつした。
「蓋が外れただけですから、金具を取り替えればまた元のように使えますよ。腕の良い職人に命じれば、これしきのこと、朝飯前でしょう。ですから、泣かなくて大丈夫」
「本当?」
 甘えたように口ぶりで訊ねるのに、セリョンは大きく頷いた。
「ええ、大丈夫です」
 華嬪は何を思ったか、小箱の蓋をほっそりとした指先で撫でながら呟いた。まるで大切な人に触れるかのような仕草に、この宝石箱が彼女にとって相当大切なものであるのが窺える。
「これはお祖父さまが下さったものなの」
「まあ、清の皇帝陛下からの賜り物なのですか?」
「ええ」
 華嬪は頷き、小箱の外れた蓋を指し示した。
「見て」
 蓋には見事な螺鈿細工が象嵌されている。満月を背景に二匹の愛らしいウサギが飛び跳ねている図柄だ。
「可愛いですね」
 褒めると、彼女の愛らしい面が花の蕾のようにほころんだ。
「あなたもそう思う?」
「はい。後ろの満月もよくできていますね。本当に夜空で輝く月をここに閉じ込めたよう」
 華嬪が得意げに鼻をうごめかした。無邪気な表情はたたでさえ幼い華嬪を更にいとけなく見せている。この歳で祖国を離れ敵地にも等しい国に来た―、華嬪への哀憐の情がセリョンの中で強まった。
「実は、この月は満月ではないのよ」
 取っておきの秘密を明かすかのように言う。セリョンは眼をまたたかせた。
「そうなのですね。私には満月にしか見えませんが」
「よく見て。少しだけ端が欠けているでしょう」
 セリョンは華嬪の手にした蓋を凝視した。確かにウサギの後ろで煌々と輝く月は微妙に欠けていた。ただし、よくよく見なければ誰も気づかないほどではある。
「本当だわ、少し欠けていますね」
 セリョンが頷くと、華嬪は更に笑みを深めた。
「この月は十六夜なの。お祖父さまはもうご高齢だけど、とても悪戯好きで茶目っ気がある方なのよ。この小箱の月もわざと満月ではなく十六夜にしたんですって」
「そう、なのですね」
 何の予告もなく、いきなり年若い皇女を遣わし朝鮮の後宮に納れろだなんて無理難題を言い出すような皇帝である。セリョンにしてみれば悪戯好きというよりは、単なる他人を愕かせ慌てさせる悪趣味の、常識のない老人としか思えない。
 とはいえ、皇帝を慕っている華嬪の前でそれを口にするつもりはない。
「私はまんまと騙されてしまいました」
 セリョンが言うと、華嬪は嬉しげに笑った。
「お祖父さまが知ったら、手を打って歓ぶわ」
 そこでセリョンはふと思いついた。
「華嬪さまは十六夜の月の別名をご存じですか?」
「十六夜の別名? 聞いたことがないわね」
 興味を惹かれたようなので、セリョンは話を続けた。
「十六夜の月のまたの呼び名は〝ためらい月〟というそうですよ」
「ためらい月―。何か趣のある呼び方ね。何故、そんな風に?」
「十六夜の晩は満月の夜よりほんの少し月の出が遅いのだそうです。それを十六夜が満月に遠慮しているということで、ためらうからとためらい月と呼ばれるようになったそうですわ」
 華嬪が大きな瞳を輝かせた。
「浪漫的(ロマンティック)な話ね」
 夢見る少女は白い頬を紅潮させている。
 そこでセリョンは空を仰いだ。五月も末近くなり、日中は初夏のような陽気だ。気温も今はかなり高くなっている。強い陽差しは身体が弱いという華嬪には良くないだろう。
「四阿の方でお話をしませんか?」
「でも」
 姫金魚草の方を名残惜しげに見ている。姫金魚草の花の一つ一つは小さいけれど、たくさん集まって咲くので、見た目は華やかな印象だ。ここには淡いピンクから濃いピンク、純白、黄色とあらゆる色の姫金魚草がある。
 異国の姫の無聊をこんなにも慰めてくれるなら、植えた甲斐もあったというものである。