一冊の古本に思うこと~書く、読む、伝える、心と心のつながり~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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☆ コチラは書き下ろしエッセイになります☆
 
子どもの頃から、古書を買う機会は滅多になかった。特に迷信深いわけではないが、本にしろ何にしろ、他の人が所有していた品には持ち主の精神(こころ)が宿るという言い伝もあり、母がその類いを信じているからだ。
だが、その考えはあながちまったくの迷信とも言い切れないのではないかと思う。例えば、事故物件などの車などはできれば品質の割に格安で中古販売されていたとしても、買わない方が良いといわれている。また宝石類などは主に女性の持つ装飾品であり、特に前所有者の念が宿りやすい傾向にある。
リサイクルでレアの石の指輪を購入した女性に何故か不幸が続き、とある知り合いのお寺の僧侶に相談したところ、前の持ち主の執着が指輪に宿っていて、その人自身が不幸な死に方をしたという。女性はすぐに指輪を手放したところ、不思議なことに不幸はぴたりと止まった。
 
 

そんな眉唾物の話は信じないという方も多いだろう。考え方は人それぞれなので、否定するつもりはない。ただ、この世には科学で解明できない不思議な話があるのも事実なのではある。
そんな自分がまさか古本を買うようになるとは想像もしていなかった。私は活字中毒といえるほどの本好きだ。読む本がないと落ち着かないといえば良いのか、とにかく自宅には常に読書用の本の在庫が何冊かあるようにしている。滅多にないけれど、面白い本のときはのめり込んで、数時間間から一日で読み終えるときもある。
勢い毎月の本代も馬鹿にならず、数人の子どもに出費がかさむ時期には特に厳しいときもあった。
初めて古書を入手したのは数年前である。古書店に足を運ぶ形ではなく、今までもよく利用するアマゾンでの利用だ。古書でも状態によってグレードがあるらしい。「非常に良い」、「良い」、「可」。業界においてのほぼ共通した等級というかグレード分けはあるのだろうが、複数の古書店で購入してみると、店によってかなり分類の基準も違うことが判る。「良い」でも、「可」程度のところもあるし、逆に「可」でも「良い」の間違いではないかと首を傾げたくなるところもあった。
当然ながら、「可」で「良い」の本が来ればしめたものだし、「良い」状態を買ったはずなのに「可」が届けば落胆もするし、損をしたような気分になる。
 
 
ちなみに、ご存じかもしれないが、「可」というのは通読するには支障はないが、ページに書き込みや汚れがある程度、「良い」は古本としての経年劣化はあるものの、書き込みなどない比較的綺麗な状態を指す。
笑われるのを承知で告白するが、古書を買い始めの時期はセージ(ハーブの一種、強い浄化力があるとされている)の乾燥葉を焚いて、本にその煙を当てたりしていた。できるだけ前の持ち主の念を除去したいからだ。だが、そんなことをしていたのはせいぜいが初めの数ヶ月にすぎない。面倒だし、今は古書が届いても浄化などせずに読んでいる。
一週間ほど前、アマゾンで買った古書が届いた。アマゾンに出店しているマーケットプレイスの商品である。節約のためには「可」の本を選べば良いのだけれど、正直、あまりに傷んだ本、見るからに古本は読む気がしない。
なので、「非常に良い」で、購入者評価も良く値段も良心的なところを選んだ。
発送も早く、数日で届いた。手にした現物は商品説明通り、とても良い状態だった。たぶん、プロの業者ではなく個人的な蔵書処分として売ったのではと思われ、説明にも「一度読んだだけです」と添えられていた。
確かに綺麗だ。たまに「非常に良い」でも、「良い」どころか「可」程度なのではと思えるほど状態の良くない本が届くこともある。他の購入者が「良い販売者だ」と口をそろえて褒めていたが、私も同意見だった。
内容も砂漠を舞台にしたロマンスもので、とても面白いせいか、すらすらと読める。かなり分厚い本なのに、もう半分以上は進んだ。
 
 
 
だが、気持ちよく読めるのは作品の面白さだけではないと思う。新品同様の書き込みどころか、ページのわずかな折れさえもない美しい本だからなのは間違いない。前の持ち主ー恐らく販売者自身が大切に読んだということが伝わってくる。
自分自身が小説を書き、手作りの本を作り、また出版社から本を出した経験もあるせいか、 私は本に対する愛着は強い。本を大切に扱うことは作者だけでなく、本を作るという行為すべてに携わった人に敬意を払うことでもある。
むろん本だけではない、どんな製品にせよ、できあがるまでには気の遠くなるような多くの人々の労力が費やされている。物を大切にするのは、製品が自分の許に届くまでの、そういった顔も知らない人たちの手間暇に思いをいたすことでもあるだろう。
だから、裏腹に本に無闇に書き込みをしたり、ぞんざいに扱う人には腹立たしい思いを抱くのも事実である。
古書として入手した本は、大方は転売する。先の迷信がらみではないが、やはり他の方の手から手へと渡ってきた本は自分のところに長らくとどめて置くつもりはない。例外としては、なかなか新刊としてはもう手に入らない希少本などは手元に残しておく。それ以外はすべてまとまった量になった時点で古本業者に売る。
知り合いに「本を売るのはナンセンス」と主張する人がいるけれど、そうは思わない。転売するのは他人が読んできた本だからというだけが理由ではない。
 
 
やはり、本にとってはより多くの人に読んで貰った方が幸せだと考えるからだ。これも自分が小説を書くからこそだろう。苦労して書き上げた愛着ある作品なら、一人でも多くの人の眼に触れさせたい。苦労して作り上げた本であれば尚更だ。
ー本は大切に、より多くの人の手にとって貰う機会を。
これが私のモットーである。
前の持ち主が大切にしていた今の本、私もまた大切に読んでいる。こうして大切に読み、また次の人が同じように大切に読んでくれれば、本は本来の価値を失わず、いつまでも大切にたくさんの人に読み継がれてゆくに違いない。まさに、それこそが本がこの世に生まれてきた意味であり、本を作った、たくさんの人々の願いであるだろう。