小説 姫はひそやかに咲き乱れる~戦国恋華~ 私と夫となるのは女好きで残忍な戦国武将だというが、、 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 姫はひそやかに咲き乱れる

  ~戦国恋華(せんごくれんか)~

 私が本当に好きなのは夫、それとも彼の義弟? 嫁いだばかりの若妻の心が揺れる。

 

☆ 夫×私×義弟 本当に私が愛しているのは誰なのか-? ☆

時は群雄割拠していた戦国乱世の時代。
政略結婚で宿敵の武将に嫁がねばならなくなった徳(あや)姫。
夫となるのは無類の戦上手ではあるが、冷酷無比な情け知らずとしても知られる
武将だった。
徳姫は気が進まないまま、父の言うがままに嫁ぐが、―。

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 邦昭はいずれ京へ上ろうとひそかに思い定めているのだ。他の大勢の戦国武将がそうであるように、邦昭もまた、誰よりも先んじて上洛し、将軍に拝謁しようと企んでいる。
 現に室町幕府は形骸化し、昔日の勢いなど見る影もない。将軍とは名ばかりで、何ほどの力もないのだ。いくら将軍が号令をかけようと、初代将軍尊氏の御代のように全国の有力武将が我先にとこぞって駆けつけ、脚許にひざまずくという時代は、はるか遠い昔の語りぐさとなり果てた。
 この年、天文九年(一五四〇年)、甲斐の武田信晴は十九歳、その翌年に家老の板垣信方、甘利虎泰らと計り二十歳の若さで父信虎を駿河に追放し、家督を継いだ。この信晴こそが後の名将武田信玄の若き日の姿であり、信晴(信玄は)生涯に渡って、何度も上洛を果たそうと試みている。
 尾張ではこの頃、織田信長はまだ漸く七歳の吉法師と呼ばれていた子どもにすぎなかった。この信長が後に頭角を表し、尾張一国を統一するどころか全国を平定せんとする覇者になるのだ。信長もまた後年、信玄と同様に京を目指すことになる。
 武将であれば誰もが憧れ夢見る上洛、それはお飾りとはいえ、天下の将軍に目通りし、我こそが公方さま第一の臣と認められることが目的であった。
 むろん、昔日の威光を失った将軍にいつまでもへつらい臣従するつもりなぞ毛頭なく、いずれは将軍の守護者から真の実力者、つまり名実共に将軍にとって代わるという野心ゆえであった。
 ところが、当代の将軍氏家は、猜疑心が殊の外強い。彼のこの気性は、その気の毒な生い立ちにも大いに源がある。氏家は前将軍の公子とはいえ、庶出のしかも八男であり、しかも一度は出家して僧籍に入った身であった。
 誰が考えても、将軍位に就く可能性など皆無に近かった。しかし、関東管領上杉資(すけ)範(のり)の謀反の端を発した、後に〝資範の変〟と呼ばれた政変により、前将軍氏範を初め、五人の将軍公子たちはすべて惨殺、或いは毒殺された(八人の公子のうち、既に二人は夭折)。
 八男であり末子である氏家だけが僧侶であったことから、難を逃れたのだ。管領家といえば幕府の草創期から将軍家を支えてきた、いわば幕府の屋台骨ともいえるべき重臣であり、代々の上杉家当主は足利家とも縁戚関係を結び、将軍の外戚としても強い結びつきを保っていたはずであった。
 その重臣の筆頭たる上杉の裏切りこそが、足利将軍家の衰退を何より物語っていた。いや、既にこれよりかなり前から、衰退は始まってはいたのだが、この資範の変は、将軍家の権威の失墜を端的に象徴し、内外に知らしめることとなった。
 とはいえ、幕府にもまだまだ忠義の臣はいたゆえ、彼等が力を合わせて逆臣資範を討伐し、乱はひとたびは終息したかに見えた。
 やがて、前将軍の血を引くただ一人の生き残りである僧諦信(ていしん)が還俗して氏家となり、家督を継いで第十五代の将軍となるに及んだ。
 氏家が容易に他人を信じず、心を開かないのには、こうした背景があったのである。その氏家の心を動かし、信用を得るためには、邦昭は氏家の妻殊子と誼みを通じる必要があると考えた。
 孤独な将軍は、天皇家から迎えたやんごとなき妻をただ一人の家族と見なし、この妻にだけは心を寄せているといわれている。殊子に近付くためには、まず、殊子の従妹である徳姫を娶らねばならない。邦昭からの突然の求婚には、このような一連の経緯があった。
 一人の父親としての心境では、この結婚の申込みを辞退したいのは山々であった。月山城では連日に渡って城主嘉政を初めとする主だった重臣たちの間で会議がもたれた。
 が、どれほど話し合いを重ねても、やはり、この申込みを拒めるものではないという結論しか出なかった。邦昭の求めを拒めば、永尾と月山の両国の間で戦が起こるのは必定である。最終的に、嘉政は、たった一人の娘を永尾の国に花嫁として送ることに決めたのであった。
 その日、徳姫の乗った女輿は城門を経て、そのまま永尾城本丸大広間へと担ぎ上げられた。婚礼が行われるのは夜、と決まっている。
 はるばる月山から幾日もの旅を重ねて一行が辿り着いたその時、昼過ぎまでは篠突く雨であったのが小降りになっていた。
 それでも、そぼ降る雨は庭を、徒歩(かち)で従ってきた者たちの髪を濡らす。大広間の入り口、庭の四方で焚かれる篝火が火の粉をまき上げ、紅々と燃えている。降りしきる雨に、その灯りが滲み、この出来事があたかも現(うつつ)のものではないと思えるほど―現実離れして見せていた。
 担ぎ上げられた輿の引き戸を乳母が静かに開け、その場に跪く。花嫁行列とはいっても、華やいだ雰囲気など欠片(かけら)ほどもなく、ひっそりと打ち沈んだ沈黙が一行を包み込んでいるようであった。
 まるで葬列のような一団の中でも、とりわけ悲壮な面持ちであったのは、やはり他ならぬ女主人徳姫であろう。華奢な身体を滑らせるようにして庭に降り立った姫は、心ここにあらずといった体のようであった。
 姫が生まれ育った月山城は平城であり、この永尾城のように城そのものが堅牢な砦となっているいかめしい山城との違いは歴然としている。
 今の徳姫にとっては、この険峻な山城は、はやそれだけで我が身を圧倒する要塞のように思える。そして、そこに住まうのは、これから彼女の形ばかりの良人となる長尾邦昭だ。
 この婚姻に際し、徳姫の父一色嘉政は一つだけ条件をつけた。それは、この縁組を了承はするが、徳姫が嫁しても良人となった邦昭と徳姫はけして臥床(ふしど)を共にしない―というものだった。
 意外なことに、この条件は徳姫その人から願い出た話であり、普段は何事にも従順で父の意向にもけして逆らったことのない大人しい娘のいつにない頑強さに、父の嘉政も愕いたほどであった。
 その時、徳姫は父の面を真っすぐに見上げて言った。
―この戦乱の世に生まれた者の宿命として、私はいつでも父上さまの仰せのままに、外つ国に嫁ぐ覚悟を持って参りました。その想いは、殿方とて同じにございましょう。これより私が嫁ぐ長尾邦昭さまもまた、この戦国の世の申し子、ひとたび男子としてこの世に生を受けたれば、心ならずも戦場では屍の山を築き、その手を血の色に染めることも致し方なきこと。されど、父上。私が長尾さまを厭うは、彼(か)のお方が戦場を鬼神のごとく駆け回るゆえではございませぬ。あの方は聞くところによれば、戦が終わりし後、許しを乞うて逃げ惑う罪なき女子(おなご)衆、幼い子ども―赤児に至るまで敵方の者は皆、惨たらしく殺しておしまいになったとか。私は、長尾さまのその心根が厭なのでございます。武将が戦場で鬼になることはあっても、ひとたび戦が終わった後もまだ鬼の顔を見せるとは、それこそ彼のお方が真の鬼だという何よりの証ではございませぬか。
 徳姫の言い分は、もっともといえた。この戦乱の世、殺さねば、自分が殺(や)られる。だからこそ男たちは生命がけで戦い、愛する者たちを、国を守るのだ。
 現に、徳姫の父である嘉政もまた、そうやって生きてきた。
 だが。長尾邦昭の冷酷さは、常軌を逸している。敵方の嫡男や男子は致し方なしとしても、何もわざわざ女子どもまで弑(しい)する必要はないはずだ。
 しかも、徳姫の耳には更なる忌まわしき噂も届いていた。邦昭が捕らわれの身となった女たちを殺す前に、さんざん弄んだ末に斬殺するという―。