二度と俺の女に手を出すな―貴族に襲われた私を助けてくれた「夫」の腕で私は泣いた 小説氷華~恋は | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

小説 氷華~恋は駆け落ちから始まって~

あの男と結婚したくないのでしょう?耳元で囁かれ、私は呆然とした。そう、私はまだこのとき、知らなかった。優しげに見えた彼が心底出考えていた怖ろしくて淫らな企みを。

 

 

 サヨンは髪を洗う手を止め、小首を傾げた。どうも、おかしい。嫌な予感がする。誰かに見られているような気がしてならないのだ。
 それも悪意の籠もった視線だ。が、周囲を見回してみても、別に人の気配はむろん、姿も見当たらない。
 気のせいだろうと考え直して、しばらくの刻が経った。洗い終えたばかりの長い髪を丁寧に乾いた手ぬぐいで拭き、水気を十分に取る。更に梳っていた時、いきなり前方の岩から三人の男たちがすべり降りてきて、サヨンの前に立ちはだかった。
「―!」
 サヨンは息を呑み、身を固くした。
 見たところ、上等の衣服に身を固めているところを見ると、ここら辺りに住む両班の息子といったところだろうか。
 突如として現れた闖入者たちは、サヨンを粘着質な眼で眺め降ろしている。彼らの視線が露わになった胸もとに注がれているのに気づき、サヨンは咄嗟に両手で胸元を覆った。
「こんな場所で何をしている?」
 懐手をして立っている男が傲岸に訊いてよこした。三人組の真ん中の男だ。
「そなた、見かけない顔だな」
 最初の男の右隣がまた訊ねた。
「おい、この女、よもや県(ヒヨン)監(ガン)さま(ナーリ)の妾ではあるまいな?」
 左隣の男が初めて口を開き、また右隣が応えている。
「知らないな。うちは母上(オモニ)が何かと煩くて眼を光らせてるから、父上は側妾を全部漢陽に置いてきたんだ。こっちには特定の女はいないはずだぞ。そなたの父上に縁(ゆかり)の女ではあるまいな?」
 問われた真ん中の若者は、ゆっくりと首を振る。
「こんなふるいつきたくなるような良い女なら、幾ら親父が隠していたって、俺はすぐに見つけるさ」
 三人の男たちは互いに顔を見合わせている。かと思うと、真ん中の男がサヨンに飛びかかり、押し倒した。すかさず両側にいた男たちがサヨンの手と足をそれぞれ押さえつけて拘束する。
「いやっ」
 サヨンは悲痛な声を上げ、渾身の力でもがいた。だが、大の屈強な男に三人がかりで押さえ込まれていては敵うはずもない。
 最初に襲いかかってきた男がサヨンの胸を乱暴にまさぐった。
「おい、この女を黙らせろ、こう騒がれたら、折角の興が冷めてしまう」
 男の指図で、足下にいた男がサヨンの口に布を押し込んだ。
 サヨンは声すら出せず、懸命に助けを求めても、それはくぐもった声にしかならなかった。
「まずは俺が愉しませて貰うぜ」
 男がやに下がった表情で言い、サヨンの胸の布に手をかけたそのときである。
「おい、貴様ら、そこで何をしているんだ」
 鋭い一喝が投げられた。
 その声に、男たちの動きが一瞬、止まった。
 涙の滲んだサヨンの瞳に映ったのは、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる男―トンジュであった。
 そのときほど、トンジュの存在を頼もしく思ったことはなかった。まず外見からして、トンジュと彼らでは違いすぎた。堂々とした上背のある美丈夫は、ろくに力仕事一つできない両班の腑抜け息子たちとは比較にならないのだ。
 粗末なパジチョゴリを着ていてでさえ、トンジュは両班の若者たちにはない圧倒的な存在感を持っていた。彼らとトンジュでは所詮、駄馬と駿馬ほども格が違った。
「この女は俺たちが先に見つけたのだ」
 若者の一人が立ち上がり、トンジュを威嚇するように言った。
「生憎だったな。こいつは俺の女房なんだ。判ったら、さっさと手を放して、お引き取り願おうか」
 トンジュは怯みもせず、淡々と返す。
「いやだ、と言ったら、どうする?」
 男が不遜に言いはなった。
「ホホウ、仮にも両班のご子息が人妻を強奪するのか?」
 トンジュの声音はどこまでも静謐だった。だが、サヨンは知っている。この男は怒れば怒るほど、より冷静になってゆくのだ。
「幾らだ? 幾ら出せば、この女を譲ってくれるのだ?」
 最初の男が言うのに、傍らから別の男が止めた。
「おい、何もそこまでしなくとも良かろう。町の妓楼にゆけば、良い女はごまんといる。ここはもう引き上げるとしよう」
「いや、俺はこの女がひとめで気に入った。この女でなければ駄目だ」
 最初の男が首を振り、トンジュを睨(ね)めつけた。
「俺がそなたからこの女を買い取ろう。幾らで売る?」
 あまりの話の展開に、サヨンは怖ろしさに身を震わせながら男たちのやりとりを見守っていた。
 まさか、トンジュは自分を売るつもりなのだろうか。一向に靡かないかわいげのない女など、彼にとって疎ましいだけだとしても不思議はない。
 サヨンは固唾を呑んでトンジュを見つめた。
「―断る」
 トンジュは低いけれど、断固とした口調で応えた。
「妻は品物や玩具ではない」
「そなた、両班の命に逆らうのか!?」
 居丈高に言う男に対して、トンジュは激する様子もなく応えた。
「嘆かわしいことだな。お前たち両班はただ生まれや身分が良いというそれだけの理由で、俺ら庶民に威張り腐っている。両班というのは、下々の見本になるような正しい行いをしなければならないんじゃないか? それが威張るだけは威張って、見本どころか平気で人の道に外れた行いをしている。あんたらみたいな連中がいずれ、この国を動かしていくんだと考えただけで、ゾッとするね。常識のなんたるかも知らない人間に、まともな政治ができるとは思えない」
「お、お前っ。一体、誰に向かって物を言っているのか判ってるんだろうな」
 男は怒りにわなわなと震えている。たかだか一介の民にここまであからさまに罵倒されたのがよほど悔しかったらしい。
「沈(シム)清(チヨン)勇(ヨン)さまの跡取り息子勇(ヨン)民(ミン)だろう? 村娘、若妻、気に入った女がいれば見境なく攫って慰み者にする―、若さまの悪名はここら一帯には轟いているからね。世情に疎い俺だって知ってますよ」
 トンジュは平然と弾じた。
「おのれ、もう我慢ならぬ」
 男―沈勇民がトンジュに飛びかかった。拳がトンジュの頬に炸裂するかと思いきや、トンジュは難なく交わした。
「そんなへっぴり腰では、喧嘩はできませんよ」
 トンジュはうっすらと笑みさえ湛えて、今度は自分が勇民の頬を張った。
「―く、くそう」
 最初、何が起こったか判らないらしい勇民は茫然と頬を押さえていた。
「身の程も知らぬ無礼者めが」
 怒りに真っ赤になり、勇民はトンジュに再び向かってきた。トンジュは勇民の胸倉を掴むと、ひょいと持ち上げた。まるで大人が子どもを持ち上げるように危なげのない手つきだ。
「あんたのように能なしのくせに威張り散らしてる奴が俺は昔から大嫌いだった」
 トンジュが手を放すと、勇民のもやしのような身体は岩場にたたきつけられた。
「あんたがどんなたいしたことをしたからって、両班に生まれたんだ? 俺がどんな罪を犯したからって、両班になれなかったんだ?」
 トンジュは勇民の上にのしかかると、彼の頬を何度も殴った。
「反吐が出そうなんだよ。お前らを見てるとさ」
 後の二人の男たちは勇民を助ける気概はさらさらないらしく、木偶の坊よろしく黙って少し離れた場所に立っているだけだ。
 サヨンは口の中の詰め物を投げ捨て、慌ててトンジュに取りすがった。
「トンジュ、もう止めて。これ以上、殴ったら、死んでしまうわ」
「こんな下衆野郎は、死んだ方が世のためになる」
 トンジュが素っ気なく言った。
 サヨンはトンジュの背後から両手を回して彼を抱きしめた。
「私はあなたに人殺しにはなって欲しくないの。それに、民が両班を殺せば、死罪になるわ。こんなろくでなしのために、あなたが死ぬなんて耐えられない」
 トンジュの動きが止まった。
「ね、だから、もう止めて。こんなことで、あなたの手を血に染める必要はないわ」
「だが、こいつはサヨンを犯そうとしたんだぞ?」
「私なら大丈夫だから。あなたが早く来てくれたから、何ともなかったの」
「本当か」
 念を押され、サヨンは幾度も頷いた。
 トンジュは自らを落ち着かせるように大きな息を吐き、勇民から手を放した。
「二度と俺の女に手を出すな。今度また同じことをしでかしたら、そのときは生命はないものと思え」
 トンジュは仁王立ちになって、唾棄するように言い棄てた。