愛した男が帝だったなんて、私には受け容れられない 小説 月下の契り~想夫恋を聞かせて~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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小説 月下の契り~想夫恋を聞かせて~


 その日から、薫子は再び熱を出した。入内する前も高熱が何日も続き、帝から皇族しか賜れない唐渡りの秘薬を賜ったほどだったのである。それを何日か飲み続け漸く熱が下がってすぐに帝に急かされるように入内したのだ。
 入内するときも健康はまだ完全に回復しきれていなかったのが、また無理と心労が重なったせいなのは明白であった。
 夢の中で、薫子は姉奏子と再会していた。優しかった姉、大好きだった姉。もう、二度と逢えない遠い場所に逝ってしまった。
―お姉さま、どうして一人で逝ってしまったの? 私もそこに連れていって。
 姉は白い花が咲き乱れる花園にいた。何の花なのかは判らないが、見たこともない大輪の美しい花だ。
 姉は純白の小袖を纏い、やわらかに微笑んでいた。
―どうして、そんな哀しいことを言うの。あなたにはまだ、たくさんの日々が約束されているのに。ここに来るには、まだ早すぎるわ。
―大好きな男に裏切られたの、騙されたの。もう、こんな辛い世界にはいたくない。お願いだから、お姉さまのいるところに連れていって。
 姉が哀しげに微笑んだ。
―悪いけれど、それはできないわ。薫子、人には天命というものがあって、誰もそれを変えることはできないの。天命は運命という言葉と言い換えることもできる。運命は誰にも変えられないものだから、逃げるよりは受け容れて、精一杯生きていきなさい。たとえ何があろうと、私はここから、あなたの歩く道をずっと見守っているから。いつかあなたが自分に与えられた運命を精一杯生ききってその瞬間が来た時、またここで逢いましょう。そして、あなたがどんな幸せな人生を生きたか、私に教えてちょうだい。
 最後に姉が見せたのは優しい笑みだった。
―姉上!
 泣きながら呼んで手を伸ばすと、その手がしっかりと掴まれた。
「―姉、う、え」
 舌が上手く回らない。薫子は握り返された手を掴んだまま、もう一度、呼んだ。
「姉上」
「奏子の夢を見ていたのですか?」
 姉によく似た声に、薫子はハッと眼を開けた。朧な視界に懐かしい姉の顔が映っている。
「姉上なのですか?」
 しかし、次第に鮮明になった視界に映ったのは、姉が長生きをしていればこうなったであろうと思える姿―何十年か後の姉の姿であった。
「義母上」
 何故、継母がいるのか判らない。自分は父の許に戻されたのだろうか。何故か、あんな怖い目に遭ったばかりだというのに、軽い落胆が走った。
 当然かも知れない。帝(承平)は妃として薫子を望んだのに、薫子はその帝の意を拒み通したのだ。承平が望んだのは人生の伴侶としての薫子ではなく、ただ、欲望を処理するための玩具としての身体だけだった―。
 夜伽ができない妃は後宮には要らない。薫子より美人で才知の長けた女官はたくさんいるし、名家の姫もごまんといる。屋敷に戻されただけで、生命を奪われることがなく済んだのは帝の温情といって良いかもしれず、むしろ無事でいられることを感謝した方が良い。
「義母上、また舞い戻ってくることになりました。父上の期待を背負って後宮に入りながら、橘の家のためにお役に立てませんでした。申し訳ありません。良くなりましたら、すぐに町の家に帰りますゆえ」
 薫子が掠れた声で言うのに、継母は微笑んだ。
「何を寝ぼけたことを言っているの? ここはお父上の屋敷ではなく、後宮ですよ」
「え?」
「あなたをご寵愛なさる帝がお放しになるはずもないでしょうに」
 眼をまたたかせた薫子の額に乱れ落ちた前髪を継母が優しい仕種でそっと払った。
 別の意味で夢を見ているのかとすら思った。継母は継子である薫子をずっと忌み嫌っていたはずだった。なのに、後宮までわざわざ訪ねてきて、このような心からのように見える笑顔を見せるなんて、そんなことがあるのだろうか?
 と、継母が面映ゆげに言った。
「突然、押しかけてきて、どういう風の吹き回しかと思うでしょうけれど」
 小さく息を吐き、継母は続ける。
「何からどう話したら良いものかしらねぇ。やはり、ありのままに話すのが良いでしょうから、正直に話すわ。昨夜、夢を見たのです。大姫が出てきて夢枕に立ち、こんなことを言いました」
―お母さま、お母さまが二の姫を嫌っていたことを私はずっと存じておりました。眼に見えないところで、私とあの子を分け隔てしていることも知っていました。けれど、それはとても罪深いことです。別の女性と関係を持ったお父さまも罪深いですが、その罪と生まれてきた二の姫とは関わりなきことではありませんか? 私はいつもお母さまが二の姫に辛く当たるのを見る度、我が身のことのように哀しい想いでおりました。どうか、考えを改めて二の姫に優しくしてあげて下さい。あの娘は良い子です。きっと、私が親不孝をして早世した分、お母さまを娘として慕ってくれるでしょう。
 継母の眼に光るものが見えた。
「大姫は私の中に巣くう醜い心をすべて見抜いていたのね。可哀想に、それを母である私に告げることもできなくて、苦しんでいたんだわ。二の姫、私は長い間、あなたに辛く当たってきたと思います。あなたの母君は私が一生かかっても手に入れられなかった殿の愛を手に入れた―。そのことが女としてどれほど口惜しかったか、その心を母君の娘であるあなたに理解してくれとは言いませんが、隠すこともしません。でもね、これからは私も考えを改めてみようと思うのです。たとえ血が通っていなくても、あなたもまた襁褓の中から私が育てた娘であることに変わりはないのだし、大姫に注げなかった分まで、これからはあなたを慈しみ、自分の残り少ない余生を悔いのないものにしたいと考えたのですよ」
 きっと、私が考えを改めることで、大姫も成仏できると思いますから。継母は手巾でそっと眼許を拭った。
「あなたはこんな私を母として受け容れてくれるかしら」
 継母の真剣な瞳に偽りはなかった。あの姉を生んだひとなのだ。信じたいという想いも強かった。
「歓んで、母上」
 継母の顔にやわらかな微笑がひろがった。それはかつて大好きだった姉の笑顔そのものだった。懐かしさに胸が熱くなった。ひとしきり姉の話や子ども時代の想い出話に花が咲いた後、継母が思わぬことを言った。
「折角、後宮に召されて当今のただ一人の女人としてこれから時めいていくというのに、どうしてそのように浮かない表情をしているの?」
「それは」
 薫子はうつむいた。継母もまた長く苦しい恋をしている女性だった。女の先輩として、こういうことを訊ねられるのはもしかしたら、この女しかいないのではないか。そんな想いから、ふと言葉が口をついて出た。
「好きな男がいるのです」
 刹那、継母が息を呑んだ。
「薫子、あなたは自分の立場が判っているの? あなたはもう帝の妃、言うなれば人の妻となったのですよ。その立場で他し男を好きだと?」
 ややあって、継母が首を傾げた。
「おかしいわね。お父さまから、そなたのお慕いしているのは帝だと聞きましたが」
「いいえ、そうではないのです」
「違うのですか!? お父さまもご存じない殿御なのですね」
 継母が信じられないといった体なのに、薫子は慌てて首を振った。
「違います、お母さま、そうではありません」
 声が震え、いつしか涙が溢れていた。
「今のあなたの立場で好きな殿方がいるというのは許されないことです。何がどうなっているのか、母に話してご覧なさい」
 優しく促され、薫子は承平との出逢いから今に至る経緯をかいつまんで話した。
 流石に帝が子どもを庇って三日間意識不明だったという下りは、継母も顔色を変えた。が、すぐに平静を取り戻した様子で言った。
「やはり、あなたと主上は並々ならぬ縁で結ばれているのでしょうね。そのようなことがあったとは知りませんでした。さりながら、主上がその承平という男であったのなら、何の問題もないのでは? あなたはその承平という男を好きになり、たまたま主上と承平なる者が同一人物だった、それだけのことだと思えば良いのではなくて?」