若様は永遠の恋人であり兄様でもあった。愛しい想い出を胸にヘダンは新たに歩き始める 小説 海棠花  | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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「でも、何故、ジュソンは今になって、お兄ちゃんにそのことを話しにきたのかしら」
 十一年間も心に抱えてきた重い秘密を何故、今―。
 ソルグクはかすかに眼を細めた。
「何でも本人が言うには、厄介な病に取りつかれてて、先が長くないという話だった。お前に実の兄貴が生きていることを伝えたくて、やって来たのだと言っていたよ。自分が死ねば、兄貴が無事でいることも判らずじまいになって、それじゃ、お前があまりに気の毒だと。だから、俺からお前に真相を伝えて欲しいと頼んで帰ったんだ」
「でも、お兄ちゃんは私に何も話さなかったわ」
「そうだ、俺はお前に話さなかった。お前に話す代わりに、南斗に話したんだ。生き別れになった妹がお前だと、お前らは実の兄妹なんだから、海棠と別れて欲しいと言った」
 刹那、梨花の中で閃くものがあった。
 だからこそ、南斗は自ら生命を絶ったのだ。南斗にとって、梨花は生涯の想い人と定め、どんな障害があろうとも共に手を携え乗り越えようと固く誓い合った女であった。その惚れに惚れ抜いた相手が血を分けた妹だったと知り、絶望して死を選んだ―。
「何故、そんなことをあの方に話したの?」
 涙が、溢れた。
「海棠、酷い言い様だが、俺にとって大事なのは、お前だ。あの若さまとお前とどちらを取るかと言われれば、お前の幸せを守る方を取るのは当然だ」
 ソルグクは、涙ぐむ梨花を眉根を寄せて見ている。それは胸に湧き上がる痛みを堪えているようでもあった。
「真実を話さなければ、どうなったと思うんだ? ああでもしなければ、若さまはお前との恋を成就させようと突き進んだだろう。誰も何も知らなければ、それでも良かったかもしれない。だが、俺は知ってしまったんだ。若さまがお前の実の兄だと知りながら、大切なお前が実の兄さんと愛し合うのを黙って見ていられるはずがない」
 梨花の初めての宿下がりの日、南斗が兄を訪ねてきたことがあった。あの時、兄にすげなく突っぱねられた南斗は失礼だと気を悪くした風もなく、言ったのだ。
―兄にとって、妹は宝物のようなものなんだ。この世のどんなものからも守ってやりたいと思うほどにね。
 あの科白に、南斗自身に妹がいるのかと一瞬、思い込みそうになったのだが、あれは確かに彼の偽らざる想いに相違なかった。十一年前、生き別れになった実の兄ソンジュンの妹梨花に対する気持ちだった。
「―」
 梨花は言葉もなく、ただ、ひっそりと涙を流した。
 ソルグクの言葉はいちいち、もっともだ。梨花が引き離された妹だと知ったことで、南斗は初めて、この恋がけして実らないと悟った。もしソルグクが真実を話さなければ、南斗は焔のような情熱で梨花を求め続け、やがて二人は夫婦となり、けして越えてはならない一線を越えていただろう。
 ソルグクには、その時、南斗に真実を告げるしか、すべはなかったのだ。逆に梨花に真実を告げたとしても、何も知らない南斗があっさりと梨花との恋を棄て去るとは思えない。
「ごめんなさい。一方的にお兄ちゃんを責めるようなことを言ってしまったわ」
 ソルグクは儚い笑みを刻んだ。
「お前が謝る必要はないさ。やはり、謝るのは俺の方だ。俺はお前から大切な男を―実の兄と恋人の両方を奪った」
「もう自分を責めないで」
 梨花の言葉に、ソルグクは首を振る。
「俺はもうお前とは一緒にいられない」
「どうして? どうして、そんな哀しいことを言うのよ」
 梨花がソルグクの上着の裾を掴んだ。
「お前を見ていると、俺は自分が引き起こしてしまった罪への呵責をどうしても思い出してしまう。お前がたとえ気にしなくて良いと言ってくれようと、俺が放ったひと言で、一人の生命が失われたんだ。それに、こんなことがあった後では、今までのように、お前の兄としてふるまうのは難しい。お前をこの橋の上で見つけてから、ずっとこの十一年間、恋い慕ってきたんだ」
「お兄ちゃん―」
 梨花は茫然として呟いた。
 たとえ血の繋がりがなくても、兄だと信じ込んできたソルグクが自分を妹ではなく、女として見ていたというのか。
「俺はもしかしたら、綺麗事を口にしているのかもしれない。若さまに真実を告げた時、俺の心の中に、お前の心を盗んでいった若さまへの嫉妬がなかったとは言えないからな」
 ソルグクは低い声で笑うと、梨花を真正面から見た。
「親父を頼む。お前には結局、厄介事ばかり押しつけてゆくようで、申し訳ないと思ってる」
「水臭いことを言わないで。お父さんは、どれだけ刻が経っても、私のお父さんなんだから。この世でお父さんって呼べるのは、今のお父さんだけだもの」
 そう、既に顔も朧になってしまった実の父よりも、梨花にとってはソギョンこそが〝父〟であった。
「それを聞いて、安心して旅に出られるよ」
「また帰ってくるんでしょ」
 訊ねずにはいられなかった。
 ソルグクは優しい笑みを浮かべ、頷いた。梨花がよく知る兄の顔だった。
「ああ、帰ってくるよ。お前が親父をたった一人の親父だと言い切ってくれたように、俺もいつかお前を妹だと言い切ることができるようになろうと思う。そうなった時、必ず帰ってくる」
 うん、うんと、梨花は幾度も頷いた。
「それじゃあ、行ってくる」
「―行ってらっしゃい。道中、気をつけてね」
 ソルグクが背を向ける。
 再びゆっくりと遠ざかってゆく背中に向かって、梨花はずっと手を振り続けた。
 ソルグクの背中が見えなくなった後、梨花は石橋の上にしゃがみ込んだ。
 橋の下を流れる川は今日も変わらない。
 きっと、十一年前も、この川の流れは今と変わらず、さらさらと流れていたのだろう。
 覗き込んだ水面は透明で澄んでいる。その面に、懐かしいひとの面影が映った。
―海棠、私が兄としてしてやれるのは、お前の果たしたかっただろう両親の敵討ちをすることだ。これで兄としての務めも果たした。だから、最後は、私は兄としてではなく、お前を慕う一人の男として逝こう。
 猛威徳との談合中、威徳と南斗があい次いで謎の死を遂げた。梨花には真相を知るすべはないけれど、もしかしたら、南斗は林家の両親の無念を晴らしたのかもしれないとも思うのだ。
 最後は、私は兄としてではなく、お前を慕う一人の男として逝こう。
 梨花には、南斗の今わの際の呟きが聞こえてくるような気がした。
 ソルグクは言った。南斗は梨花にとって、大切な存在―兄でもあり、恋人でもあったのだと。
 そう、若さまは私にとって、永遠に尹南斗さまであり、一途に恋い慕った想い人だった。
 十一年前のあの夜、梨花はこの橋の上で生まれ変わった。あの時、自分では気づかなかったけれど、梨花は〝林梨花〟という名をこの川に棄てたのだ。
 同じように、離れ離れになった兄ソンジュンもまた、あの夜に〝林ソンジュン〟の名を棄てたのかもしれない。
 本来の名を棄て、互いにそれぞれ新しい生活を送り、人生を歩み、そして出逢った。
 恐らく出逢うべくして、自分たちは再び出逢ったのだろう。
 もう、宿命を恨むまい。彼と出逢った運命を恨み憎めば、彼を愛したことも、彼の存在すべてに意味がなくなってしまう。
 梨花が愛した男は〝尹南斗〟としてこの世を去ったのだ。
 梨花は袖から月長石のノリゲを取り出した。南斗から婚約の証として贈られたノリゲを彼女はいつも肌身離さず身につけている。
―ありがとう、そして、さようなら、兄上さま。
 水面に映った南斗の整った面が少年だった頃の兄ソンジュンに変わる。
―小花、私はそろそろゆくよ。
 幼い日のように、ソンジュンが優しい微笑を浮かべている。
 梨花は瞼の兄にそっと別離を告げた。
 手のひらに握りしめたノリゲを袖に入れ、ゆっくりと立ち上がり元来た方へと橋を渡り戻ってゆく。
 家には、彼女を待つ父がいる。
 橋のたもとの海棠が新緑の匂いを含んだ風の中で愛らしい花を咲かせていた。



 幼い兄妹が庭で戯れていた。
 二人の頭上には見事な枝ぶりの桜が満開に花をつけ、時折、風もないのにはらりと薄紅色の花びらが舞う。
 地面には隙間もないほどに桜貝の花片が散り敷いていた。
 五歳ほどの妹は一心に花びらを拾い集めては、せっせと糸に通している。兄の方は十二、三歳にはなるのか、花冠を作る妹を優しい瞳で見守っていた。
 小さな手が器用に花びらの冠を作り上げてゆく。やがて、妹は嬉しげに完成した花冠を見せると、兄が幼い妹の頭に乗せてやる。
「小花、とてもよく似合っているよ」
「これをつけると、花嫁さんみたいでしょう?」
 兄は微笑む。彼の小さな妹が美々しい婚礼衣装を纏った花嫁に憧れているのを知っていたからだ。
 むろん、妹は花嫁衣装を着る意味も、嫁ぐということも理解してはいない。ただ花嫁というものが華やかな衣装を身につけることができるから、純粋に憧れているのだ。
「私は大きくなったら、お兄さまのお嫁さんになるの。この花冠をつけて、お兄さまに嫁ぐわ。約束よ、お兄さま。私が大人になるまで、ちゃんと待っていてね」
 机に向かってじっと書物を読むのが苦手な兄と比べて、妹は大の本好きで、兄にちょっ中〝本の虫〟とからかわれる。
―お前は本当に変わった奴だな。本の虫だなんて、将来、大きくなったって、誰も嫁には貰ってくれないぞ?
―あら、私はお兄さま(ニヨンニム)の妻にして頂くのだから、構いはしないわ。
―冗談じゃない。お前のように一日中、本に囓りついてるような女なんか、死んでもご免だ。第一、俺が読めない本でも、お前はすらすらと読みこなせる。亭主よりも頭の良い女房なんぞ、貰うものじゃない。
 他愛ない痴話喧嘩は再々なのに、妹は忽ち喧嘩したことなど忘れたように、〝お兄さまのお嫁さんになるの〟と言う。
 妹の無邪気な願いに、兄はいっそう笑みを深くする。
「判ったよ、小花。そなたが大きくなるまで、私はいつまでも待つことにしよう」
 約束と、少女が小さな指を出す。
 兄である少年も笑いながら、その指に自分の指を絡めた。
 まるで雪のように、二人の頭上から薄紅色の花びらがはらはらと降り注いだ。


                  (完)




















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 宝石言葉―女性らしさ、感受性、歓び、調和、決断力。穏やかな充足、恋の予感、満ち足りてゆく愛。ムーンストーンの結晶構造は、自己不信や優柔不断からくる落胆、気紛れといったマイナス感情を取り除き、決断力や自尊心を高める波動を生むといわれている。
 和名は月長石。六月の誕生石。

海棠
 花言葉―温和、美人の眠り。その美しさから、美人の形容として使われる花。昔、唐の玄宗皇帝も楊貴妃をこの花にたとえて歌を詠んだといわれている。開花は四月から五月。四月二十日の誕生花。