悪女が流した涙はどちらが本物か?~二人の妖婦チャン・ヒビン~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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皆様、こんにちは。

 昨日、ふっと考えたというか、思い出したことがあります。

 私はヨン様をきっかけに韓流にハマり、長らく韓国ドラマを見てきました。

 お好きな方はもっとたくさんご覧になったと思うし、私の見た数が多いとはいえないかも

 しれないけれど、自分なりに時代物を中心に様々なドラマを見たと思っています。

 その中で最初に見たのはもちろん時代劇の 妖婦チャン・ヒビン。

 これが私にはもの凄く衝撃的-あらゆる意味ーで、ここから朝鮮王朝時代に

 興味を持ち、韓国の時代物にハマることになったのです。

 これは韓国だけでなく日本でも同じで、同じ人物でも光りの当て方にり、

 まったく違った人物のように描くことができます。

 私が最初に見た妖婦 チャン・ヒビンとその後、韓国時代劇もかなり

 こなした頃に見たトンイ

 どちらにも同じ人物であるチャン・ヒビンが出てきますが、

 両者はかなり違った描き方をされています。

 妖婦の方はチャン・ヒビンを描いた歴代作品の中で最高の評価を受けた

 ということであり、テーマは『悪女の流した涙の真実とは?』でした。


 では、妖婦とトンイ、両者のそれぞれのヒビンが流した涙はどちらが

 本物だったのか?

 いや、本物に近かったのだろうか?

 ふと昨夜、そんなことを考えてしまいました。

 ☆二人のチャンヒビン☆

  


 

  


 様々な場面を比較するとキリがないので、ヒビンの最期に焦点を当ててみたいと

 思います。

 前者妖婦の方では、ヒビンはそれはもう見苦しい最期でした。

 毒薬が運ばれてきても、

 私を誰だと思っているのか、世子の母であるこの身を何と心得る

 とわめき散らし、毒薬を持ってきて内官を蹴飛ばし、罵りまくります。

 ついには粛宗自身がやってきて、彼女は王にもわめき散らす。

 あまりの醜態に王も激怒して、怒った王は内官にヒビンをおさえつけさせ、

 割り箸を口に突っ込んで、閉じないようにした上で

 自分から毒薬をヒビンの口に流し込んで殺した(もしかしたら、流し込んだのは内官かも

 しれない)。

 世子の母であるという尊い身分を思いやったからこそ、身体に傷を付けない

 方法で死なせてやうと思っていたが、最早、そなたに温情など要らぬようだ


 最期の最期まで夫に愛想を尽かされまくったヒビンでした。

 誰が見ても、見苦しい死に方です。しかし、役者さんの演技としてみれば、それほど

 真に迫った演技ということでもあります。

 私はこのチャン・ヒビンのイメージがあまりにも強烈すぎて、恐らく、その後、私自身が

 描くことになった韓流小説にもこの影響が出ていると思います。

 日本には悪女とか妖婦とかいわれる歴史上の女性は例えば日野富子と藤原薬子

 とかいますけど、ここまで悪女として有名じゃない。

 こんなに何度も繰り返してドラマになるほど有名な悪女って、何か凄いなーと

 感じました。

 そして、対するトンイのヒビン。こちらは主演ではありませんでしたが、

 トンイが光ならヒビンは影というように、ヒビンも準主役的に描かれました。

 こちらのヒビンも野心的ではありましたが、最期を見てみると、その死に方は

 とても美しい。

 最期は改心して王にも愛と感謝を残し、与えられた毒薬を自分から飲んで

 従容として死に臨みました。

 また粛宗自身もかつて愛した女の死を惜しみいたんで、涙を流した。

  同じ人物の最期なのに、これだけ描き方が違うのか、一体、どちらが真実なのかと

 首を傾げたくもなる。

 ですが、個人的には私は前者の最期の最期まであがいたヒビンの死に方の方が

 彼女のイメージにふさわしいと思う。

 トンイのヒビンの死は、あまりに美しすぎます。

 朝鮮三大妖婦なら、やはり最期まであがいたんじゃないかと私は思う。

 もちろん、真実は当事者・関係者だけが知る-、ということになりますが。

 もちろん、トンイのヒビンもそれはそれで良いと思います。

 正道を貫いて生きた気高いトンイ対抗するなら、やはり、ここでのヒビンも最期は

 凛として誇り高く死ぬのが似合いです。

 大切なのは真実かどうかということより、その作品の雰囲気やイメージでしょうね。

 トンイのヒビンが最期まであがいたら、これはトンイという作品の雰囲気に合わない

 でしょうし。

 だけど、お話の作り手しゃなくて、単なる歴史好きとして見たら、

 一体どちらのヒビンが流した涙がより真実に近かったのかな~と

 つい考えてしまう。

 そして、そういうことを色々と想像を巡らせるのが歴史の空白を考える

 ロマンからもしれない。

 あー、歴史ってワクワクするわぁ