光王を異性として意識し始めた香花。更に女好きで残忍な使道の噂も気になり 小説 月下にひらく華 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第二話 燕の唄


 先ほどの露店で初めてこのノリゲを眼にした時、すぐに珊瑚の簪のことが頭に浮かんだ。まるで簪とお揃いで誂えたようなノリゲに、ひとめで心奪われてしまった。あの香花にとっては宝物ともいえる簪と一緒にチョゴリの紐に結んで使えば素敵だろうなと考えたのだ。
 光王が訳もなく、こんな風な黙りになってしまうことなんて、これまで一度もなかった。それが自分のせいなのだと判っているからこそ、香花は尚更、哀しくなってしまった。
 しかし。
 当の光王は全く別のことを考えていたのである。
 露天商の老人から、夫婦だと勘違いされた時、光王の心境としては実のところ、満更でもなかった。都を出てから色々な町を通過してきたものの、香花と自分が夫婦や恋人同士に間違われたのは、既にもう数え切れないほどになっていたからでもある。
 これまでは、香花はそう言われて格別嬉しそうでもなかったが、迷惑そうでもなかった。曖昧な笑顔でその場をやり過ごしていたのだ。が、何故か、今日ばかりは、即座にきっぱりと否定した。
 当然といえば、当然だ。香花と自分は夫婦どころか許婚者でもなく、恋人でもない。香花にしてみれば、間違われるのは嫌なのだろう。
 おまけに、香花から見れば、自分は〝えじさん〟と呼ばれてもおかしくはないほど歳が離れている。光王に気を遣って、これまで否定したくても、できなかっただけのことだ。
 なのに、自分は一人で何を良い気になっていたのか。
 確かに香花は人眼を引く美少女だ。自分で言うのも何だが、光王自身、容色の点ではこれまで注目を浴びる存在であった。その光王と香花が連れ立って歩いていれば、嫌が上にも目立つ。雪花石膏のような白くすべらかな膚に黒い大きな瞳。薄紅色のふっくらとした唇は花のようで、香花は可憐でもあり、また、どことなく、ほのかななまめかしさを漂わせる美しい娘であった。
 その癖、お人好しで、どこか抜けている。聡明で機転もきくのに、どこか危なげで放っておけない。少しからかってやると、本気で怒って向かってくるので、つい、ちょっかいをかいたくなる。十一も年下の少女に大人げないふるまいだと思うのだが、香花といると、つい自分までもが十四、五の少年に戻ったかのような気持ちになる。
 今だって、老人の前であれほどきっぱりと〝夫婦ではない〟と香花に否定されたことに、ここまでの衝撃を受けている―。
 これは由々しき事態だ。光王は突如として訪れたこの状況を呪いたくなった。いや、と、彼は思う。
 恐らく、自分はもっと早くから―この少女とめぐり逢ったその頃から、香花に惹かれていたのだ。何も今、突然に彼女を一人の女性として意識し始めたわけではない。だが、彼自身が敢えてその事実から眼を背けようとしていただけなのだ。
 いや、今だって、できるならば、この事実から眼を背けたい。でも、一度気付いてしまった事実から眼を背けることはできないだろう。ならば、せめて、少女にこの想いを気付かれないようにするだけのことだ。
 光王は唇を引き結び、ひたすら前を見つめて歩き続ける。その後を香花がしょんぼりとうつむいて歩いてくるのにも気付かなかった―。
 
 翌日になった。
 香花は光王と共にまた町の様子を見に出かけた。
 昨日も通った賑やかな大通りを抜けると、四ツ辻がある。例の小間物屋の老人は今日も同じ場所に陣取っていた。相変わらず客の方は見当たらなかったが、光王が親しく挨拶すると、気軽に応えてきた。
 四ツ辻では旅の一座らしい大道芸人が芸を披露している真っ最中である。まだ幼い少年と色香漂う妙齢の美女が二人、高い綱の上で見事な技を披露して観客を大いに沸かせていた。
 少年の方はまだ十にも満たないくらいで、こちらも少女と見紛うほど愛らしく、美しい。
 眼鼻立ちが似通っているので、もしかしたら、綱上の二人は母子なのかもしれない。女人は若く見えるが、派手やかな化粧のせいで若く見えるだけで、実際には三十前後にはなっているようだ。
 綱の高さはどう見積もっても民家の屋根と同じだけはある。その高い一本の細い線上を少年は女はまるで平地を歩くかのように、危なげない脚取りで進んでゆく。
「さあ、それでは、こちらの子どもがこれより妙技を皆さま方にご披露致します。どうぞ、お眼をよおく開けて、とくとご覧あれ」
 一座の親方らしい中年男が大音声で口上を述べ立てる。いかついの身体つきだけでなく、容貌もしかりで、赤銅色に陽灼けした顔に八の字髭をたくわえているのが全然似合っていない。
 口上が終わるか終わらない中にシンバルの音が派手に鳴り響き、少年の身体があたかも地上でするかのように、いきなりくるっと回転した。実に鮮やかなもので、一度と言わず、二度、三度と細い綱の上で宙返りを繰り返す。
 おおっ、と見物人たちの間から一様にどよめきがもれた。
 少年が深々とお辞儀をして片端へ寄ると、今度はまた一段と賑々しい音楽が鳴り渡る。
「さて、これなるは我らが一座の花形、ヒョンオルの華麗なる綱上の舞」
 親方がまたも耳も塞ぎたくなるような声で叫ぶと同時に、艶やかな美女が妖艶に微笑み、バサッと手にした扇を開く。その扇を片手で高々と掲げ、舞うように身体を揺らしながらゆったりと綱を渡り始めたかと思いきや、いきなり速度を上げて全速力で綱の上を駆けた。
 またしても見物人たちが感嘆の声を洩らす。綱を見事に渡り終えた美女が再び艶やかな笑みをその麗しい面に浮かべると、集まった観客たちはその艶麗な笑顔に皆、魅了された。中には衣裳から時折、ちらりとかいま見える白い膚に眼を奪われ、その下に隠された彼女のふくよかな肢体に釘付けの男もいて―、傍らの女房に力任せに耳を引っ張られ顔をしかめる男の情けない姿も見られた。
 再びシンバルが鳴り、美女が綱から地上へと鮮やかな着地を決める。更に続いて、少年が宙返りをしてから、美女の差しのべた腕へと無事、おさまった。
 美女が少年を軽々と抱き上げ、二人は同時に揃って優雅に一礼して見せる。
 割れんばかりの拍手が鳴り止まぬ中、息をもつかせぬ芸の一部始終を見守っていた香花の傍らで声がした。
「それにしても酷い話じゃねえか」
「ああ、使道の屋敷で死んじまった使用人ってのも、丁度、あれくらいの歳の子どもだって聞いたぜ」
 どうやら、どこかの下男らしい男たち二人が小声で囁き合っているようだ。
「全く血も涙もないってのは、ああいあ奴のようなことを言うんだろうな」
 と、香花の傍ら―男たちとは香花を隔てていた光王がズイと身を乗り出した。
「兄さん、子どもが死んじまったって聞いたが、そいつは良くねえな。一体、何の話だい」
「何だ、お前は」
 突如として現れた光王を、背の高い方の男が不審そうに見る。どちらもまだ若く、二十歳そこそこといった感じだ。光王よりはわずかに若いだろう。
「この町ではあまり見かけたことのない顔だな、旅の者か?」
 詰問口調で言ったのは、背の低い小太りの方。二人とも警戒心を露わにしている。とはいえ、それも無理はない。話題がここら一体を治める使道に関して、しかも良からぬ話であるだけに、万が一にも聞き咎められ使道本人に知られては、酷い罰を与えられると怯えているのだ。
「漢陽から来た旅の者なんだが、ここに着く前の町でガキを亡くしちまってなあ。まだ産まれたばかりの赤ン坊だったから、不憫でならねえんだ。女房が長旅の途中で産気づいちまったもんだからよう」
 いかにも哀しげに声を震わせる光王に唖然としていると、光王がちらりと意味ありげに一瞥する。
 話を合わせろと言っているのだ。
「そいつは気の毒だ。子どもは男の子だったのか、女の子だったのか?」
 人の好さそうな小柄な男が気の毒そうに訊ねてくる。
 香花もまた眼を伏せ、か細い声で応えた。
「―この人によく似た男の子でした。まだ名前も付けない中に可哀想に」
「そいつは良くねえよ、おかみさん。幾ら産まれてわずかも生きなかった赤児でも、ちゃんと名前は付けてやらねえと、ちゃんと成仏できねえって昔から言うじゃないか。今からでも遅くねえから、名前をつけてやりなよ」
 背の高い痩せぎすの方も親身になって言ってくる。
「弔いは出してやったのかい?」
 丸顔で小太りの男が訊ねると、光王が大袈裟な吐息を吐き、首を振った。
「何せ旅先だったもので、満足なことは何一つしてやれなかったんだ」
「そりゃア、ますます良くねえや。名前もねえし、弔いもして貰えなかったんじゃ、成仏どころか生まれ変わってもこれねえぜ。兄さんよう、悪いことは言うわねえ。俺んちも去年の春、一人息子が産まれてさ。子どもを持つ親の気持ちはようく判る。あんたも子どもが可愛いんなら、早くちゃんとした弔いを出してやりな。そうしてやりゃア、死んだ息子もまたすぐに生まれ変わって、また、あんたのところに来るよ」
 見かけによらず情に脆そうな背の高い男は滑稽なほど狐に似ている。
「そうだ、そうだ、奥さんはまだ若いんだからよ、落ち込む間もねえ。することをちゃんと毎晩してりゃ、直に二人目が授かるよ。そのためにも、早く弔いを出してやれよ、何なら、俺の知り合いの寺を紹介してやろうか」
 とまで言い出す丸顔の男は、何となく狸な似ている。
 などと二人の顔を見ていたら、思わず吹き出しそうになり、香花は慌てて顔を伏せた。
 善良なこの二人を騙す自分がとんでもない悪者のような気がしてくる。
「そんなわけで、自分が子どもを亡くしたばかりなもんで、子どもが死んだなんて話をちらっとでも耳にしたら、到底、他人事とは思えなくてさ」
 光王が物憂い声で言うと、狐と狸は互いに顔を見合わせ、ふんふんと頷いた。
「兄さんは旅の人だから、よくは知らないだろうが、そりゃア、ここいらを治める使道は酷え奴さ。あいつが赴任してきてからこっち、ここ一帯に住む者は皆、戦々恐々としてるよ。強欲で見栄っ張り、おまけに無類の女好きときてるからね。おかみさんも器量良しだから、使道の野郎にくれぐれも見つからないようにしな。気に入った女なら、相手が他人の女房であろうがなかろうが、見境なしだもんな」
 なあ、と、顔を見合わせ頷き合う二人に、光王が控えめに問うた。
「ところで、兄さんたちは先刻、その使道の屋敷の使用人が殺されたって話していたけど、その使用人ってのが子どもだったのかい」
「そうなのさ」
 狸顔の方が光王に身を寄せてくる。
 どうやら、産まれたばかりの赤ン坊を亡くした云々のでっち上げ話で、二人は光王への警戒心を解いてしまったらしい。
「酷い話だ。何でも国王殿下より拝領した家宝の壺を割っちまったとかで、滅多蹴りにされたらしい。その子は少々頭の回転が遅くて、お屋敷でもヘマばかりして、かねてから使道は苛立ってたとかいうけどな。滅多蹴りにされて、それでも半日ほどは元気にしてたのに、朝起きないんで一緒に寝ていた年嵩の下男が揺り起こしてみたら、もう事切れてたっていうぜ。確証はないが、あれだけ酷い折檻されたんだから、間違いなく使道のせいで死んだんだって、もう町中の噂さ」