本当の優しさって?~サンリオいちご新聞二月号より~ | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

皆様、おはようございます。

 先週でしたか、岡山の繁華街まで出かけた時、サンリオショップに立ち寄り、

 いちご新聞二冊を受け取って帰りました。

 まあ、季節的にバレンタイン特集が目立ったのですが、

 いつものように葉祥明さんの心のハーブというエッセイ&イラスト&詩

 で、大変印象深い言葉がありました。

 まず、その言葉そのものを抜粋します。

 自分がやさしくなかったり相手に思いやりをかけられ

 なかったり、相手も同様だった時、互いのやさしさや思いやりの欠如の

 奥底にも、善なる心が秘められていると、あなたが信じられれば、

 この世は無慈悲で冷淡な世界ではなく、生きるに値する素晴らしい所だと

 思えるようになるでしょう。


 


 
 

 更に祥明さんは言われています。

 やさしさと思いやりは、相手の気持ちがわかること。だからこそ、自分が意地悪を

 されたときも、相手のそのときの気持ちを推し量ってはあげることが必要だと

 言っているのだと思います。

 なるほど、確かに、そうかもしれませんね。

 人は誰でも、イライラしたり、落ち込んだり、気分が悪い意味で落ち着かないときが

 あるものです。そういう時、誰かについ必要以上に声を荒げてしまったり、当たって

 しまうのは実はよくあること。

 時には、そのときの自分が相手に〝当たっている〟という意識もなしに、

 相手に八つ当たりしてしまって、後で気づいて自己嫌悪に陥ることも。

 祥明さんいわく、たとえ自分がそんな目にあっても、腹を立てたり

 相手を恨むことなく、逆に、

 何故、この人はこんなにも今日は心が荒れているのか?

 と考えてあげることが大切なのだと考えています。

 難しい言葉になりますが、性善説という言葉がありますね。

 人は誰しも生まれながらに善の心を持っているという教えです。

 たとえ、と゜んな悪党でも、人を思いやる心はどこかに持っている。

 祥明さんの考えてはそれに似ています。

 人が誰かに辛く当たる時でも、その人の心には優しい心があるはずだというのです。

 確かに、そうかもしれません。

 100%、悪人になりきれるというのはよほどです。

 平気で殺人を犯す凶悪犯人ならまた別でしょうが、普通の人は大抵、

 悪いことをしているときでも、どこかで良心の呵責を感じていたりします。

 自分が意地悪をされても、相手の心には優しさがあるのだと思いなさい。

 その教えは道理にかなっていますし、まさそのとおりです。

 しかし、その反面、とても難しい。

 例えば、それはキリスト教の右頬を打たれたら、左頬を出しなさい、

 という教えとも似ているのではないでしょうか。

 自分を虐げる相手をなお信じ、良い人であると思おうというのは凡人にはなかなか

 指南の技です。

 誰でも自分に優しくしてくれる人、親切な人には好意をいだくものだし、

 逆に意地悪をする人は嫌いになります。

 それが自然な人の心の動きだからです。

 ですが、祥明さんの言われるように、意地悪を仕掛けてくる相手の中に

 善=やさしさがあると信じられたなら、自分自身の心はずいぶんと

 軽やかにはなるでしょう。

 このエッセイを読んだ時、私はこれまでの人生で遭遇した様々な嫌な出来事を

 思い出しました。約束を交わしたのに、平然とそれを破った人、

 何もそこまで言わなくても良いのにというようなことを、くどくどと述べ立てた人。

 ブログでもやりきれない気持ちをつぶやいたことがあります。

 しかし、そういう人たちもその時、どこかにはやさしさを持っていた、

 もしくは後で後悔したかもしれない。

 そう思うことによって、少なくとも私の心は幾ばくかは救われます。

 もちろん、単なる自分を慰めるための思い込みだともいえますが-。

 相手の中になる善なる心を信じる。

 言葉にすると、たった一言ですが、様々な意味が含まれている奥の深い

 ものだと思います。