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re-peat Live

(昨日遅くまで書いていたのに、手違いで消してしまったので、昨日は断念して寝た。
んで、再び書き直したけど、昨日何書いてたっけ?w)



昨日は下北沢にずーっとずーっと会いたかった人のLiveに行ってきました。
27〜8年ぶりかなぁ
当時働いてたとこの後輩。
1番可愛がってた子。

時折思い出しては検索してたんだけど…やっとそれらしき人をFacebookで見つけた。
しばらくは更新を待ってたんだけど、動いてないっぽい。
何日か悩んでリクエスト送ってみた。
随分待ったが音沙汰なし。
すごい勇気出して送ったのにぃ〜
その間、彼のリンクからバンドのHPにいったり、Twitterを探したりした。
Twitterにバンド名があり、遡って写真や動画を見た。
やっぱり彼だ。
Liveあったら行こうかな?なんて思ってたら、急遽Liveが決まった。
悩んだ。
ホントに彼だよね?
覚えてなかったらどうしよう?
てか、話しかけられないかも?
マイナスな考えばかりが浮ぶ。
前日まで悩んだけど、行くことにした。
話しかけられなかったら、純粋に音楽を楽しんでこよう。
覚えてなかったら、ショック受けて帰るだけ。
また次…なんて言ってたらいつ会えるかわからない。
不安と期待でいっぱいだった。

会場に着き周りを見渡す。
マスクのせいでみんな彼に見えるw
ドリンクを注文してふと横にあるドアに目を向けるとちょうど外から帰って来た彼が。
考える間もなく近づいて自分だと伝える。
話しかけられないかも…って言ってたの、誰だよっw
名前を言って、当時働いてたお店の名前も言って…
彼の動きが止まったまま…
え、わからない?
焦った。
もう一度言うと、わかるけど…なんでいるのって。
そりゃそうだよね、30年近く会ってなくて、連絡も取ってなかった人がいきなり目の前にいるんだから…
経緯を説明。
当時お店にいた子の名前をあげたり、今の話をしたり…
言いたいこと全部伝えられたかわからないけど、とりあえず連絡取れるようになったので、もう会えないかも…という不安は解消された。

彼の出番が終わったら早々に退散。
最後に写真を撮らせてもらった。
彼とツーショットなんて初めてだからなんだかこそばゆいw
でも会えたことでテンション上がってたから…
とにかく嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
外まで一緒に出てくれて、ちょっと話して帰宅。

もうね〜ホント、テンション上がってた。
ずーっと会いたかった。
嬉しかった。
あの頃の後輩、誰とも会えてないけど、1番会いたかった人に会えて、音楽続けててくれてるお陰でまた会いに行ける。
もちろん被らなかったら…だけど。
そんな1日でした。

不安もあったけど、期待もあったから、ちゃんと差し入れも用意して行きました。
朝から出掛けて、お気に入りのチョコ買いに。(特定の店舗でしか販売してないらしい)
ちょっと早めのバレンタインってことで。
前日にもお気に入りのお店で期間限定というものを…
無事渡せたことも嬉しい要素。
また会いに行きたい。

コロナ、LIVE

コロナ禍でLIVEへの足も遠退き、お出掛けもしなくなり、休みの日もずっと引き篭もるような生活をしてきましたが、ここ最近、電車に乗ってお出掛けすることを少しづつはじめました。(笑)
んで、今月は超久々に三賀さん以外のLIVEに足を運ぶ気になりました。
三賀さんのLIVEでも少し懸念してたぐらいですから…
少し過剰なぐらい用心してないと、周りに迷惑を掛けるかもしれないから…
自分は無症状だったとしても移してしまったら…その方が重篤になってしまわないとも限らない。
自分の父が肺がんだったこともあり、もし父が生きていたら大変だったとも思うし、もしうつされたら…絶対に許せないと思う。
だから自分も気をつけなくてはいけないと思っている。
誰かにうつしてからでは遅いから。
仕事は通いだし、年配の方もいる職場なので念には念を入れないと…と思っております。

あれほどLIVEがなきゃ…と思っていたのに、今はLIVEがなくても平気で、逆に無い方が楽だったりもします。
乗り換えの多いハコだったり、大きな街まで行くのはやはりちょっと怖いので。

今回LIVEに行こうと思ったのは、そのバンドが好きなのと、アニバーサリーってことが重なったからかなー
他にも好きなバンドはあるけど、重い腰を上げるまでには至らなかった。
今回予約するのも遅めで、1日経って返信なかったらキャンセルしてしまおうかと思うぐらい弱気な意気込みだったんだけど、想いに応えられるLIVEを約束してくれるとのことだったので、弱い想いだったけど、少し強くなりました。(笑)

久しぶりのLIVE、楽しみなのとコロナへの不安とで複雑ですが、若い子らのパワーをもらってこようかな。(笑)
伊藤健太郎くんの一件で少し気落ちしてたので…
結構気になる子だったから…
他にも気になる芸能人はいるんですけどね、1、2位ぐらい、気になる子だったので。
今後、大変だとは思うけど、いい大人へと成長し、頑張ってほしいと思います。


自粛・LIVE

自粛が解除になったけれど、生活は変わらず。
解除になったからってすぐに遠出したりする気にもなれず…
自粛中は遠出もLIVEもお預け。
仕事もあるし、買い物ぐらいは行ってたけど、休みの日は引きこもり生活をしていた。
それなりに自粛を楽しんではいたよ?
マスク作ったり、消毒液作ったりしてさ。
でも…
もう飽きた。
マスクなしで普通に出歩きた〜い!!
電車ももう何ヶ月も乗ってない。
電車乗って出掛けるのが好きだった。
こんなにもLIVEから離れたのはいつぶりだろ?
LIVEに行かないのが当たり前の生活になりつつある今、LIVEの予定が入った。
嬉しいけど怖い。
電車乗るのが怖い。
繁華街が怖い。
でも会いたい。
複雑な気持ちのまま指折り数えてる。
ハコでは色々と考え配慮してくれている。
心配は道中。
渋谷から行くべきか、原宿から行くべきか…
もっと人の少ない駅だったら良かったのに…
空いてるのは地下鉄かしら?と色々考え中。

四十九日法要

昨日 四十九日法要を終え、納骨してまいりました。
父が亡くなったのがまだ最近のように思えるのですが、もう1ヶ月以上経っているのですね。
どうしても父の入院生活中や亡くなった日のことを思い出しては涙を流してしまいます。
泣かずに父のことを語れる日が来るのか?
そんな日は来ないんじゃないか?
って思ってしまいます。

私は三姉妹の末っ子で、姉妹の中では1番父親っ子だったと思います。
もちろん反抗する時期もあったので、ずっと仲良く…というわけではありませんが。
小さい頃は 父が男の子がほしくて 野球をしたかったらしいことを知り、興味もないのにグローブやバットを持ったりして、父が喜んでくれるんじゃないかと、子供心に思っていました。
父が喜んでくれることが大事だった。
大きくなってからはLive中心の考えだったけど、数年前から一緒に旅行に行くようにもしてた。
幸いLiveと被ることはなかったんだけど。
父が喜んでくれるから自分の子供は男の子だったらいいな…とずっと思っていたし、休みの日ゆっくりしたくても父からの誘いは出来るだけ断らずに会うようにしてた。
どんなに眠くても。
いつか後悔しないように、父を大事に思ってた。
病院の付き添いも、仕事休んで付き添って、病気のことも治療のことも 理解しようと色々調べた。
自分に出来ることはやろうって…
毎回付き添ったり、理解しようと調べたり、会社の人とかにえらいわね〜とか色々言われたけど、えらいとかじゃなくて、自分がしたいからしてる。
出来るだけ父と過ごしたいから…
父の1番になりたかった。
姉達に比べ、どうしたって両親と関われる期間は短いから、短い中でも濃いものにしたかった。
一緒に住んでいなくても、会ってる時間は1番でありたかった。
父が大好きでした。
もっとお世話したかった。
もっと色んなこと教えてほしかった。
もっともっと同じ時間を過ごしたかった。


亡くなってしばらくは身内以外会いたくなかった。
どうしたって父の話になるから。
いっぱい泣きなとか言われたけど、泣くってことは悲しい気持ちを思い出して泣く訳で…
何度も疑似体験を繰り返したくなかった。
何度も傷付きたくなかった。
泣いて父が戻るならいくらでも泣く。
傷付いたら再び父と会えるならどんなに傷付いても我慢する。
だから、どうしても会う友達は、普通に今までと変わらず接してくれる友達がラクだった。
今はわざわざ友達と会いたくないと、遠ざけていた。
1ヶ月経ったから、納骨したからって切り替えられる訳じゃない。
人と会うのが今は億劫になっている。
今までなら行っていたLiveを何本も見送っている。
会いたい娘達のLiveも今は行けないでいる。
会いたいけど会いたくない。
まだ時間が必要なのかもしれない。
時間じゃ解決してくれないのかもしれない。
何が正しいかなんてわからないけど、地道に少しづつ進んで行こうと思う。


ご報告

こちらでは言ってなかったのですが、先日父が他界しました。

そして昨日無事葬儀を終えることが出来ました。(↓ここよりTwitterのコピぺになります)

まだ気持ちの整理も出来ないし、相変わらず思い出すとツラくて苦しくなるけど、自分の力で乗り越えていきたいと思っているので、変な気遣いは無用です。

合併症のこともそうですが、自分で理解して納得しなくては前に進めないので、今はそっとしといて下さい。

LINEやDMをくれた方には本当に感謝しております。

父のことを話すのはツラくもありますが、私にとっては自慢の父ですので、話すことで楽になることもあります。

あの時こうしていれば…という後悔はありません。

生前より父の急な呼び出しにも応えてきたし、入院中も出来る限りのことをやってきたつもりです。

病気のことも合併症のことも調べてきたし、薬の副作用についてもその都度調べては、無い頭で一生懸命理解しようとしてきました。

身体のマッサージもやったし、介護についてもどうしたらいいのか、日々考えてきました。

間に合わなかったことはありますが、後悔ではありません。

今後のことで迷ってることはありますが、決めるのは自分だとも思っています。

まだ葬儀が終わっただけなのに、なに語っちゃってるの?と不快に思われたらすみません。

これが私のやり方で、前に進む為に必要なのです。

文字にして気持ちの整理をしているのです。

だからどうか不快に思われたのならスルーして下さい。

これからは父の分も姉妹で力を合わせて母を支えて行こうと思っています。

長々とすみませんでした。