四十九日法要 | MEGUMIのブログ

四十九日法要

昨日 四十九日法要を終え、納骨してまいりました。
父が亡くなったのがまだ最近のように思えるのですが、もう1ヶ月以上経っているのですね。
どうしても父の入院生活中や亡くなった日のことを思い出しては涙を流してしまいます。
泣かずに父のことを語れる日が来るのか?
そんな日は来ないんじゃないか?
って思ってしまいます。

私は三姉妹の末っ子で、姉妹の中では1番父親っ子だったと思います。
もちろん反抗する時期もあったので、ずっと仲良く…というわけではありませんが。
小さい頃は 父が男の子がほしくて 野球をしたかったらしいことを知り、興味もないのにグローブやバットを持ったりして、父が喜んでくれるんじゃないかと、子供心に思っていました。
父が喜んでくれることが大事だった。
大きくなってからはLive中心の考えだったけど、数年前から一緒に旅行に行くようにもしてた。
幸いLiveと被ることはなかったんだけど。
父が喜んでくれるから自分の子供は男の子だったらいいな…とずっと思っていたし、休みの日ゆっくりしたくても父からの誘いは出来るだけ断らずに会うようにしてた。
どんなに眠くても。
いつか後悔しないように、父を大事に思ってた。
病院の付き添いも、仕事休んで付き添って、病気のことも治療のことも 理解しようと色々調べた。
自分に出来ることはやろうって…
毎回付き添ったり、理解しようと調べたり、会社の人とかにえらいわね〜とか色々言われたけど、えらいとかじゃなくて、自分がしたいからしてる。
出来るだけ父と過ごしたいから…
父の1番になりたかった。
姉達に比べ、どうしたって両親と関われる期間は短いから、短い中でも濃いものにしたかった。
一緒に住んでいなくても、会ってる時間は1番でありたかった。
父が大好きでした。
もっとお世話したかった。
もっと色んなこと教えてほしかった。
もっともっと同じ時間を過ごしたかった。


亡くなってしばらくは身内以外会いたくなかった。
どうしたって父の話になるから。
いっぱい泣きなとか言われたけど、泣くってことは悲しい気持ちを思い出して泣く訳で…
何度も疑似体験を繰り返したくなかった。
何度も傷付きたくなかった。
泣いて父が戻るならいくらでも泣く。
傷付いたら再び父と会えるならどんなに傷付いても我慢する。
だから、どうしても会う友達は、普通に今までと変わらず接してくれる友達がラクだった。
今はわざわざ友達と会いたくないと、遠ざけていた。
1ヶ月経ったから、納骨したからって切り替えられる訳じゃない。
人と会うのが今は億劫になっている。
今までなら行っていたLiveを何本も見送っている。
会いたい娘達のLiveも今は行けないでいる。
会いたいけど会いたくない。
まだ時間が必要なのかもしれない。
時間じゃ解決してくれないのかもしれない。
何が正しいかなんてわからないけど、地道に少しづつ進んで行こうと思う。