心を一つに | めぐみキリスト教会

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人はパンだけで生きるのではなく神の口からでる一つ一つのことばによる。
               新約聖書マタイの福音書4章4節

 今日は、使徒行伝2章37節~47節までのところから「心を一つに」と言う題で、みことばから恵みを頂きたいと思います。

使徒2章には、復活されたイエス様が、天に昇って行かれた後、使徒たちの上に聖霊降臨があったという、ペンテコステの出来事が記されています。

 

 復活されたイエス様は、40日間この地上で弟子たちと過ごされてから、天に昇って行かれたのですが、どうして40日間いたのかと言うと、ご自分が生きておられることをしっかりと弟子たちに示すためです。弟子たちは、イエス様とずっと一緒にいたかったことでしょうが、天に昇って行かれることは、キリストの福音が全世界に延べ伝えられるために欠くことのできない前提だからです(ヨハネ14:12)。

 

 事実、五旬節の日に聖霊降臨があり、初代教会が誕生したのです。その背景には、三千人の人々が救われてきたからです。ですから、教会は建物のことではなくて、キリストを信じる人々の共同体こそが、教会なのです。

 

 ただ、誤解してはいけないのは、聖霊降臨の後、自然発生的に人々が救われてきたのではなくて、人々が救いへと導かれるきっかけがあったからです。それは、みんな神の言葉を聞いたからです。使徒2:14以下に、聖霊に満たされたペテロがイエス・キリストこそが真の神であり、この方以外に救われる道はないと、ユダヤの民に大胆に語りかけたからです。

 

 使徒2:37節をご覧下さい。ここには、ペテロのメッセージを聞いた人々の反応の様子が記されています。「彼らは、心を刺された」とあります。これはどう言うことかと言うと、、「罪の自覚が生じた」という意味です。実は、この言葉は新約聖書の中で、ここにしか出てこない言葉です。

 

 罪の自覚が生じることは、恥ずかしいことではなくて、とても大きな恵なのです。例えば病気のことを考えて下さい。自覚症状のない病気ほど怖いものはありません。癌や高血圧や糖尿病など…。

 

 ですから、自覚症状があるということは、とてもありがたいことなのです。それは、そのことによって正しい治療をすることができるからです。

 

 ペテロの説教もまさにこれです。それに対して人々は、「どうしたらいいのですか」と反応します。ペテロは「悔い改めてバプテスマを受けよ、賜物として聖霊を受けれでしょう」と答えます。

 

 この、賜物としての聖霊こそが、私たちがキリスト者として生きる力、罪に打ち勝つ力となってくださるお方なのです。つまり、立派なキリスト者へと私たちを導いて下さるのです。ある人は、洗礼を受けても、クリスチャンとして生きていける自信がないとおっしゃる方もいますが、安心して下さい。イエス様を信じバプテスマを受けると、罪の赦しと聖霊の内住という、二つのプレゼントを頂けるのですから感謝です。

 

 その様にして、聖霊降臨によって教会が誕生したのですが、その後、どのように歩んだのかを見てみましょう。42節~47節に記されています。注目したいのは、「心を一つに」という言葉です。

 

 「心を一つに」、これが教会がキリストの体として前進するための「カギ」の言葉だと言えます。一つになることは、ただ仲良くするだけでは実現しません。何を共にしていくのかが問題です。

 

 42節です。使徒たちの教えを守っていた。とあります。つまり、神のみ言葉によって一つになっていたのです。ここで分かることは、使徒たちは神の言葉を正しく教えていたということです。

 

 教会と言っても、牧師や指導者の都合の良いことだけを教えて、信徒をコントロールしようとしている教会もありますので、注意して下さい。

ただ、ここで疑問に思うことは、どうして使徒たちの教えが正しい教えであったと言えるのかということです。それを裏付けるものは、47節に、「彼らは、人々から好意を持たれていた」と言う言葉からわかります。

 

私たちも、正しいみ言葉の教えをしっかり守り、キリストの十字架の愛を伝えていきましょう。マタイ5章16節