とうとう主治医とのインフォームドコンセントの日

次男には昨夜やっぱり行くのやめておくと断られたので夫と2人で病院へ向かう


今日は診察室ではなく病棟の大きなスクリーンのある会議室でのIC


再発がわかってすぐ

取り急ぎ5月の初めに入院し化学療法を行ったので前後のMRIの画像を見比べる


イリノテカン+テモゾロミドの評価

劇的に効いているまではいかないが

腫瘍を増大はさせていないので

一定の抑制効果はあった事


その後行われた腫瘍摘出手術ではほぼ予定通り取り切れたが

視神経に近い箇所に少し残る事

現在目に見えるレベルでの播種はない


ここまでが実際わかっている今の現状


そしてここからはこの先予想される事について


髄芽腫の再発には決まった標準治療がない

あくまでもデータでの話になるが、との前置き


再発で5年以上生存するという事はとても難しい

仮に世界中探して数%生きていたとしてもどんな状態で生存されているのかは正直わからない


夫もわたしも色々と調べ尽くしてきているので

やっぱりか…と思いながら聞いていた


主治医、初発の頃からなので3年以上

お世話になっている

聞いた事に対して目を見てきちんと話してくれる


時々「ハッキリ言うなーー」って思う事もあるけれど

聞きたがりいの私の性格上、はっきり知らせてくれる方が有難い

本気で心血注いで"小児がん"に取り組んでおられる医師だと思う


その主治医からの選択肢

3年前と同様に積極的に強い抗がん剤を使っての治療を数ヶ月行う

合わせて放射線

視神経に近い所に当てるので

照射できる最大の線量でいくと

視力を失う可能性が高い事


そして息子が最も嫌がる入院をしなければいけない

しかしこれらを行えば一時的に寛解まで持っていける可能性がある


その寛解の期間が何年?

それは誰にもわからない

データ上、そんなに長い期間ではないという事



小児がんでの抗がん剤治療はほんと過酷で壮絶

どれほど苦しみしんどい思いをするのかは

前回ずっと一緒に居たからよく知っている

再びあんな目に合わせるのかと…



もう1つは維持療法的にはなるが

先日と同じ抗がん剤を使って

なるべく入院をせず

生活のQOLを保ちながら

本人がしたい事を優先しながら過ごす


抗がん剤は外来での点滴と錠剤を服薬し

放射線は毎日通う事で対応してもらう方法


「先生の経験上、データー上でも良いので教えて欲しいです

 それを行えばあと何年ありますか?」


聞かずにはいられなかった


「2年はいけると思います

 そこは目指したいです」と


たった2年……20歳にはなれるんかぁと

ちょっと人ごとのように考えていた


今退院してうちにいる息子

手術前とほんとほぼ変わりなく元気にしていて

帰宅して2、3日で暇すぎて仕事行きたいと言い出す

私から見ても

「そうよな~暇よな元気やもんな」と


すぐに事業所へ出向き事情を話し

少しづつ通わせてもらう事になった


今本当に元気で何も変わらないから

主治医についつい聞いてしまった


「もし何も治療をしなかったらどうなるんですか?」

だってほんとに元気やから(しつこい…)


「半年です、なので何もしない選択肢はないです」


えっ…ウソやん……

聞かんかったら良かった…



次の治療開始までそう長くは待てないとの事

数日後に私達夫婦の決定を伝えにきますと言って病院をあとにした


帰りの車内は無言…

お互い頭の中で息子にとって

どう決断するのが1番なのかを

ただただ考える


でもきっと正解はないし

どうしたって後悔をする事も知っている


このごに及んでやけど

ほんまにうちの子の話?

現実味がなくてちょっと困惑する


でもきっと

少しづつしんどくなる姿を

目の当たりにしだす事で

ようやく気持ちが追いつくんかな…


キビシイナ


こんな日々の中でも

普段飲まないコーラを買っては

ミセスのLIVEに応募しようとしている

一瞬忘れてちょっと楽しい瞬間


ゆうてる内にあと1ヶ月で

神戸ノエビアスタジアムでのLIVE‼︎

1日だけ当たってるから

ここは次男と思い切り

それはもう全力で楽しむつもりーー‼︎


けっして悲劇のヒロインにならずに

私の事もちゃんとしないとと思いつつ

時折深ーい所にはまって苦しくて

自身を保つのに大変な時もある

子供の事になるとどうしても普通でいられない

こうなるのも仕方ないと半ば諦め



あとmarriott 

梅田に間も無く新規開業の

大阪ステーションホテル

新しいホテル好きの息子を連れて行ってみよう



彼が楽しいと思える事

もう後回しにせずに

たくさん積み上げていこうと思ってる