

残された本作の元スタッフらは、グロス請け先の支払い金を充てるため、会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。当時のスタッフが個人的に所有しているごく一部のもの以外、現存しないことが明らかにされている。



最終回の際、当時の製作スタッフは、将来続編の製作を期待し、深い気持ちを込めてラストのアイキャッチを「次回もお楽しみに」(前週までは「来週もお楽しみに」だった)として終了させた。残されたスタッフは債権処理などに追われたが、ついに日本テレビ動画が再建されることはなかった。
1979年、アニメ第2作1期が放送され始めたころ、7月から8月にかけて藤子Fの故郷でもある富山県の富山テレビ放送(フジテレビ系)で本作が再放送された。それを知った藤子Fは、「たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私の原作のイメージと全然違うし、放送してほしくない。」と大変怒り、小学館を通じて放送中止の警告状を送った。そのためこの再放送は9回目の放送で打ち切られた。温厚で知られる藤子Fがこのように怒りを顕にしたという証言は他にほとんどなく、それだけに日本テレビ版ドラえもんに対する印象が悪かったことが伺える。作品が現在封印されているのは、権利者側が原作者の意思を尊重しているためである。