旧ドラえもん 音源 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

旧ドラえもん最終回音声【1/3】

ドラえもん 1973年1973年 ドラえもんしかし、2クール終了間際に制作会社の社長の新倉雅美(渡邊清)が突然辞任。経営を引き継いだ同社会長は、アニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散した。理由は本作の黒字経営で、過去に経営していた東京テレビ動画時代からの赤字を補填出来るまでに至った時点で、アニメ事業に興味をなくしたためだという。同年9月30日の「さようならドラえもんの巻」を最終話とし、半年で終了となった。最終回ではドラえもんは未来に帰り、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わる。

残された本作の元スタッフらは、グロス請け先の支払い金を充てるため、会社の備品など売れるものは全て売り払い、社屋引き払いのため本作に関する資料やセル画のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。当時のスタッフが個人的に所有しているごく一部のもの以外、現存しないことが明らかにされている。

旧ドラえもん最終回音声【2/3】

ドラえもん 1973年1973年 ドラえもん旧ドラえもん本作フィルムは放送終了後、日本テレビで7年間管理され、その間は地方局へ貸し出されたりしていた。再放送はテレビ朝日系での放映が始まる1979年までの5年余りの間に、地方局などで比較的多くされていた。

最終回の際、当時の製作スタッフは、将来続編の製作を期待し、深い気持ちを込めてラストのアイキャッチを「次回もお楽しみに」(前週までは「来週もお楽しみに」だった)として終了させた。残されたスタッフは債権処理などに追われたが、ついに日本テレビ動画が再建されることはなかった。

1979年、アニメ第2作1期が放送され始めたころ、7月から8月にかけて藤子Fの故郷でもある富山県の富山テレビ放送(フジテレビ系)で本作が再放送された。それを知った藤子Fは、「たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私の原作のイメージと全然違うし、放送してほしくない。」と大変怒り、小学館を通じて放送中止の警告状を送った。そのためこの再放送は9回目の放送で打ち切られた。温厚で知られる藤子Fがこのように怒りを顕にしたという証言は他にほとんどなく、それだけに日本テレビ版ドラえもんに対する印象が悪かったことが伺える。作品が現在封印されているのは、権利者側が原作者の意思を尊重しているためである。

旧ドラえもん最終回音声【3/3】