

弘前藩の2代藩主・津軽信枚が、長勝寺を当地に1610年、弘前城築城と共に種里(現:鯵ヶ沢町)より移したことから始まり、当時領内で主になっていた曹洞宗の寺院を当地に集める。津軽藩2代藩主・信枚が禅林街を弘前城の南の要にするほか、宗教文化の統一を図ろうとしていたことが背景にある。
禅林街の立地は、弘前城から見て南西の方角にあたる。北東の鬼門に対し南西は裏鬼門となり、弘前城を守っている。鬼門の北東には弘前八幡宮が鎮座していて、その近くには邪を摘むと言う意味を転じて茶を摘む意味がある茶畑町が存在する。
禅林街の並木道は夜になるとライトアップされ夜になると地元の方や観光客が訪れる新名所になりつつあります。禅林街の入り口には黒門と呼ばれる門が設置されており、建前上は参道の三門の位置づけですが、弘前城の城郭門としての役割も兼ねていたとされています。
