


弊ブログ管理者が幼少から学生時代まで住んだ弘前市は人口が20万人を超えていましたが、不況で企業の倒産が相次ぎ何の対策もなかったので街の人口が16万人を切ってしまいました。
昭和末期から平成初期までの弘前市は活気があって、繁華街の土手町も常に人の姿で溢れていました。夜になると飲み屋街の鍛冶町に繰り出す方が多かったです。飲み屋や風俗店だけでなく映画館と喫茶店や食堂も数多くありました。
土手町ほ殆どがシャッター街となり、老舗和菓子屋の開雲堂が廃業。老舗デパートも倒産または城東に移転しました。中心街は寂れましたが城東は新たな繁華街として発展しています。
弘前市城東地区はクルマ社会を見越したような新しい作りの街並みとなっていて、駐車場付きの物件も数多く売り出されています。弊ブログ管理者は弘前市本町出身なので、旧市街に住んだ方が好みです。