アウンサンスーチーは、1945年6月、ミャンマーの旧首都ヤンゴン(ラングーン)で生まれた。日本の降伏後、1947年に父アウンサンが、政敵ウー・ソオの部下に暗殺される。以降、ラングーンで元看護師の母親キンチーと2人の兄とともに暮らし、母からテーラワーダ仏教の厳しい教育を受けた。1964年から1967年まで、イギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジ哲学政治経済学部で哲学・政治学・経済学を学ぶ。1967年に学士号を取得後、ビルマ政治史担当の助手に就任しヒュー・ティンカー教授に師事。1968年に同大学を卒業し政治学修士号を取得。
1972年にオックスフォードの後輩で、当時ブータン在住だったチベット研究者のマイケル・アリス(1946 - 1999)と結婚。国際連合事務局を退職し、専業主婦となった。
父の研究をするため、オックスフォード大学で2年間かけて日本語を習得。その後1985年10月から翌年7月までの約9か月間、国際交流基金の支援で京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、大日本帝国軍関係者への聞き取り調査や、外務省外交史料館、旧防衛庁戦史部、国会図書館などでの資料調査を行い、父アウンサン将軍についての歴史研究を進める。
1988年3月31日に母が危篤との知らせを受け、病気の母を看護するため4月2日にビルマに戻る。1987年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけとして学生を中心に始まった反政府運動(8888民主化運動)は、デモ中の学生が虐殺された3月以降に激化した。7月に1962年の軍事クーデターより独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。
戒厳令下では学生や市民らが大規模なデモを行った。アウンサンスーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行う。9月18日に国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権が誕生。民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出た。