


オープニングトークで「世界のジョーク」と称し、毎回アメリカンジョークを披露した。中には「フランス語でタコは?」「アシハッポン」などというのもあり、その直後に「お、石坂さん『ニアピンハッポン』ですね」と言っていた。
番組終了から数年後、巨泉は自分が出版した本やテレビ番組などで「50歳にセミリタイア宣言することを考えていた」と述べている。番組開始当時は49歳で巨泉はスタッフに対し「やってもいいが1年しかやらないよ」と言っている。
また企画段階では「1枠・大学教授、2枠・若手女優……」といった『クイズダービー』に酷似した解答者案に難色を示して断ろうとしたが、当番組を自社の看板番組と位置づけて取り組んでいたイーストも不退転の覚悟で迫ったため、
巨泉は「石坂浩二とビートたけしの二人を1枠2枠でキャスティングしたらやってもいい」「世界の主要都市にイーストの事務所をつくれ」など無理難題を出してイーストが“社運を賭けて”取り組む意志があるのかどうか試したという。
結果的には毎日放送とイーストだけでは収拾がつかず、キー局のTBSや電通も説得に駆り出されるほどだったが、巨泉は石坂とたけしのキャスティングが実現できれば他の条件は度外視するつもりだったと明かしている。
直前になって準備稿の内容が気に入らなかった巨泉が突然「やらない」と言い出してしまう。東修社長を筆頭にイーストのスタッフが宿泊なしで巨泉が住むハワイを訪れたことがあり、その際ホノルル空港の入国審査で「宿泊もなくたった一日だけ何しに来たのか(麻薬の運び屋か何かか)」と疑われ、全員別室に連れ込まれたため「マウイ島に住んでいる、有名なテレビスターの家に行く」と申告したところ、係員が勘違いして「アメリカにもシナトラなどワガママなスターはいるが、日本にもそんなのがいるのか」と許されて通してくれたということもあった。