


事件はこの日に遊説のためテキサス州ダラス市に到着したケネディ大統領夫妻がテキサス州のコナリー知事夫妻の案内で、空港からリムジンに同乗して市内をパレードしていた最中に突然3発の銃弾が撃ち込まれたことで起こった。
行程は11月21日(木)にホワイトハウスを発ち、大統領専用機でテキサス州サンアントニオからヒューストンを経て、深夜にフォートワースに到着し、翌11月22日金曜日の朝にフォートワースからダラス、最後はオースティンへ行きオースティン西方のジョンソン牧場でジョンソン副大統領夫妻と週末を過ごす予定であった。
12時30分にケネディのリムジンはメイン通りからディーリー・プラザに入って右折し、ヒューストン通りをテキサス教科書倉庫ビルの正面にゆっくり進んだ。次にリムジンはゆっくりと左折して、エルム通りに入り、教科書倉庫ビルからわずか20メートル離れた位置に達した。
リンカーン・コンチネンタルが教科書倉庫ビルの前を通過し、緩やかな下り坂をブレーキを掛けて速度を落としながら走行するという絶好の機会を利用したかのように立て続けの発砲音が轟き、6 - 9秒の間にケネディは狙撃された。
ウォーレン委員会は3発の銃弾の内1発は車列を外れ、1発がケネディの頸部に命中。貫通のうえコナリーを負傷させ、最後の1発がケネディの頭部に命中し、致命傷を与えたと結論を下した。全ての委員がケネディに2発の銃弾が命中し、頭部への被弾で死亡したことを認めている。
