



追手門は元々搦手門(からめてもん)と言って家で言うと勝手口の扱いでした。弘前城の築城当初は北門の亀甲門が正門でした。
江戸時代中期にこの関係が逆転して、現在は追手門が正門となっています。こちらも敵を入城させない造りです。
追手門周辺には外濠が配置されています。陸伝いに追手門から入城するしかありませんが、正門は櫓門と言って二階から火縄銃で敵を威嚇するために小さな出格子窓が空いています。
追手門周辺の土塁も大変急な造りで足を掛けるのも容易でない傾斜です。
市民会館から入ると容易く入城出来るのですが、当時は急峻な崖で入城は不可能な造りでした。様々な防御の工夫が外部から弘前城を守りました。

