恋人もいないのに シモンズ | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

シモンズ 恋人もいないのに 1971

恋人もいないのに シモンズ 恋人もいないのに シモンズ シモンズ シモンズ シモンズは、田中ユミ、玉井タエの女性フォークデュオ。共に大阪府出身で関西フォーク系に属する。シモンズの名前は、2人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたもの。

2人は高校時代からベッツィ&クリスのカバーなどを歌ってライブ活動をしていた。毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションで合格。高校卒業後に上京しRCAレコードから「恋人もいないのに」でデビュー。

デビュー曲は「あの素晴しい愛をもう一度」になる予定であったが、この曲は北山修と加藤和彦が唄うことに決まったため、急遽「恋人もいないのに」になった。この曲は60万枚を超える大ヒットとなり、1971年の第13回日本レコード大賞では新人賞を受賞した。人気絶頂の1974年、玉井タエが後藤次利との結婚を期に休止。

1978年にテレビドラマ主題歌を歌うことにより一時的に活動を再開するも、翌年の玉井タエの離婚により本格的に解散した。100曲を超えるCM曲をうたっている。なかでも明治製菓(現・明治)のチェルシーのCMソング(作詞:安井かずみ、作曲:小林亜星)は有名である。

田中 ユミ(たなか ユミ、1953年1月21日(71歳) - )本名、田中 由美子(たなか ゆみこ)。

伸びのある声で高音パートを担当していた。中学校時代にトニー谷の「スターと飛び出せ歌合戦」で優勝している。解散後に、元マネージャーの北川啓二と結婚。北川ユミの名でラジオのDJやソロシンガーとして活動。その後も、"シモンズYumi"と"田中ゆみ"の名義を使い分けながら、歌手活動やラジオ番組へのゲスト出演を続けてきた。背の低い方が田中 ユミ。

玉井 タエ(たまい タエ、1952年11月26日(71歳) - )本名、玉井 妙子(たまい たえこ)。

ハスキーボイスで低音パートを担当していた。現在は英語教師をしており、音楽活動はしていない。富士額の特徴がある。

S46 恋人もいないのに (シモンズ)