![植木等 ハイ それまでョ](https://stat.ameba.jp/user_images/20240305/23/megomegoco/03/c6/j/o0524050015409620218.jpg?caw=800)
![上映作の一つ「日本一のホラ吹き男」©TOHO CO.,LTD.](https://stat.ameba.jp/user_images/20240305/23/megomegoco/a9/80/j/o0640042815409620221.jpg?caw=800)
![日本一のゴマスリ男](https://stat.ameba.jp/user_images/20240305/23/megomegoco/fa/3c/j/o0560048015409623561.jpg?caw=800)
少年時代から足が速かった植木さんは、東洋大学に入学後、陸上競技部(短距離)で活躍する傍ら、軽音楽同好会を作り、軍需工場等を慰問して回っていたようです。
大学卒業後はミュージシャンとして幾つかのバンドを経て、1957年にキューバン・キャッツ(後にハナ肇とクレイジー・キャッツに改名)にギタリストとして参加します。ザ・ピーナッツとクレイジー・キャッツをレギュラーとする音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』が1961年から日本テレビで始まると、植木さんは茶の間の人気者になります。
植木さんが演じる腹巻き・ステテコ姿の男が発する「お呼びでない?…お呼びでない。これまた失礼いたしました!」というギャグは大ブレイクしました。
『スーダラ節』『ハイそれまでョ』などコミックソングの大ヒットや東宝映画の『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』『日本一シリーズ』が次々に興行的成功を収め、植木さんは1960年代に国民的スターとなりました。
植木等の番組の制作に携わったこともある作家の小林信彦は著書『日本の喜劇人』で、「植木等は<無責任というレッテル>と<底抜けの明るさ>という二つのセールスポイントを把握していたのである。」と評しています。
東洋大学校友会より一部引用
18回忌とは何とも半端ですが、弊ブログを作るきっかけとなった植木等さんが亡くなってもう17年も経ちました。りんご娘の金星ちゃんが2006年産まれなので、植木等さんが亡くなる前年に産まれたのですね・・・