1961年の日本は高度経済成長期にあり、レジャーブームが起こった年であった。レジャーという言葉は流行語になり、日本航空の国内線の年間乗客数は初めて100万人を超えた。
海外旅行については、1950年代から芸能人らによってハワイが紹介されることがあったものの、当時はまだ海外旅行の自由化もなされておらず、費用も高額で庶民にとっては夢のような話であった。
その時代に本コピーは、人々にハワイ旅行という夢を提示することで、当時の日本人に大きなインパクトを与えた。広告は時代を映す鏡といわれるが、以上のことから本広告はむしろ時代を先取りし、引っ張ってゆくものであった。
1961年に映画「ブルーハワイ」が日本で公開され、1963年には加山雄三主演の「ハワイの若大将」、森繁久彌主演の「社長外遊記」「続・社長外遊記」といったハワイを舞台にした映画が公開された。
1963年は10問連続で正解するとハワイへ行けるアップダウンクイズ(毎日放送制作・NET(現・テレビ朝日)系列)の放送が始まり、海外旅行自由化を前にハワイブームが巻き起こる。
キャッチコピーとしては、トリスという庶民向けの日常的な酒と、ハワイという非日常的な憧れの単語を組み合わせることで見る人に衝撃を与え、様々な想像をかきたたせた。
トリスを「買って」ではなく「飲んで」としたところも大きな特徴と言われる。さらに、ハワイを「Hawaii」と表記したところも特筆される。天野祐吉はこのコピーを見て「Hawaiiはiが2つだったのか」と「新鮮な驚きを感じた」と述べている。