キャッチコピーの誕生 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

1961年 人間らしくやりたいナ トリスでドドンパ

トリスウイスキートリスウイスキー1961年当時、寿屋の宣伝部には山口瞳のほか、開高健、柳原良平らが在籍。イラストレーターの柳原は開高とアイディアを出し、トリスのキャラクター・アンクルトリスを生み出した。

1961年に開高の作ったコピー人間らしくやりたいナは大きな評判を呼んだ。この年の9月に寿屋は新たにハワイのキャンペーンを展開することになっていたが、開高は作家としての仕事などで多忙を極めており、会社に出ることも少なくなった。そのため、このキャンペーンコピーは山口が担当することになった。

山口が指示を受けたとき、すでに柳原によって絵とデザインは完成していた。山口は、なんとかして読者の心に残る広告を作ろうと、「机の下にもぐりこんだり、暗室で寝ころがったり」しながら考え、コピーを作り上げた。

山口は、このコピーの表記は「トリスを/飲んで/Hawaiiへ/行こう!」であらねばならぬとして、これを「トリスをのんでハワイへいこう」などと書かれると泣きたくなると述べる。

本コピーは評判となり、1961年の流行語にもなった。そのため、本作は山口瞳の広告コピーの出世作ともいわれる。山口は、同年9月に小説『江分利満氏の優雅な生活』が雑誌に発表されることになっていたため、広告が失敗したら会社を辞めるしかないと考えていた。そのため、この成功は山口を安心させた。

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