ブルー トレイン | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

思い出の国鉄(寝台特急 富士)

寝台特急「はやぶさ」のテールマークブルートレイン「はやぶさ」・「富士」(14系)寝台特急 富士ブルートレインは、客車を使用した寝台列車を指す愛称。但し「あさかぜ」といった「列車愛称」とは、異なる包括的な列車の愛称。

「あさかぜ」以降の20系、14系14形・15形寝台車、24系24形・25形で編成される寝台列車がこの名で呼ばれる。座席車が半数以上連結される列車でも「ブルートレイン」と称された。北海道では1982年に在来形客車の代替車両として14系客車が用いられたこともあり、当時の夜行列車である「利尻」「まりも」「大雪」も「ブルートレイン」と称された。

逆に寝台列車ではあっても電車である581・583系を使用した「ゆうづる」「はくつる」や「月光」「きりしま」「明星」「彗星」などは、「ブルートレイン」と称せなかった。このため285系「サンライズエクスプレス」への移行や、気動車に寝台客車を併結する形になった「利尻」「おおぞら13・14号」→「まりも」なども、同様にブルートレインと称していない。

昼行列車では、20系客車が登場した1958年から運行開始した上野駅 - 青森駅間の昼行特急列車「はつかり」の車両に、20系と同様の青を基調とした車体色が用いられた。しかし「はつかり」は2年後の1960年にはキハ81系気動車によりディーゼル列車化され、これ以降、客車による昼行特急が定期列車に設定されることはなかった。それゆえ、客車昼行特急列車を「ブルートレイン」と呼ぶ習慣は成立しなかった。

最終寝台特急富士はやぶさ 下関到着前の涙のアナウンス