




細野晴臣氏、坂本龍一氏、高橋氏という3人の天才音楽家が78年に結成したのがYMOだ。無機質なピコピコ音を奏でるシンセサイザーを駆使したテクノサウンドと東洋風のおしゃれなコスチュームで、デビューするなり海外でもその名を知られて一躍世界的なテクノグループとなり、80年代にテクノブームを巻き起こした。
YMOほどファッションに通じていたテクノグループはない。ファッションなんて二の次でどうでもよろしかった日本の音楽業界で、YMOはファッションと音楽をイコールにした初めてのミュージシャンではないかと思う。
当時、TOKIOことトーキョーでは音楽と流行に敏感な若者たちが、原宿や青山のヘアサロンでYMOのようにモミアゲをカットした「テクノカット」というヘアスタイルをまねした。
渋谷のスペイン坂の「大中」で買った赤い人民服を着てカンフーシューズを履き、原宿の「文化屋雑貨店」で買ったキッチュなセルロイド風のウェリントンタイプの色付きサングラスをして、YMOのような格好「テクノファッション」で公園通りや竹下通りを歩いていた。
ステージ衣装やレコードジャケットのビジュアルのスタイリングなど、YMOのファッションを担当していたのも高橋氏。実姉は海外のファッションブランドを紹介する日本初の「アタッシュ・ド・プレス(広報担当)」としてアパレル業界では有名な方で高橋氏も生粋の服好きなファッショニスタとして昔から知られている。
高橋氏のファッションスタイルは70年代のロンドンのグラムロックファッションから始まり英国のブリティッシュスタイルが基本。そこに「イヴ・サンローラン」などフレンチのモードなテイストも加わってノンシャラン(気取らず飾らないおしゃれ)な高橋スタイルが完成。
高橋幸宏さんが1月11日に70歳で死去したことを受けイエローマジックオーケストラ(YMO)で活動を共にした細野晴臣さん(75)がツイッターで追悼のコメントを発表した。
人の一生は一冊の本のようだ。
いま「高橋幸宏」という本を読み終え、多くのファンがあとがきを書こうとしている。物語は終わったが本は消えず、ずっとそこにある。
幸宏の死は世界に反響を及ぼした。
彼が海外のミュージシャンに与えた影響の大きさを今更ながら知り、高橋幸宏が実は大スターであることが判明した。
細野晴臣
