

A.長男がアメリカで大量のレコードを買ってきて、一気に広がりましたね。 10歳年上の長男が慶應大学を卒業して、傷心旅行みたいな感じでアメリカに行ったんです。
Q.60年代の初めの話ですよね。卒業傷心旅行でアメリカに行けるものなのでしょうか(笑)
A.ビザだって簡単に取れない時代ですよ。そんな時代に恋に破れたからアメリカに行くなんて、確かにちょっとあり得ない(笑)。アメリカのどの街へ行ったのか、もう憶えていないんですけれど、その街の新聞に載ったそうです、「日本人が来た」って(笑)。
大量といっても飛行機に積める重量制限もあるから、10枚くらいだったのかな。メジャーではないレコードばかりでした。長男は音楽に全く詳しくなかったので、サーフィン・ミュージックのバンドの中でもB級のものを買ってきちゃったんです。長男と同じく慶應に行って、フィンガーズというバンドをやっていた次男(高橋信之)と、僕へのお土産として。
インストのエレキ・サウンドでしたから、やっぱり(フィンガーズで同じエレキ・サウンドをやっていた)信之へのプレゼントのつもりだったんでしょう。今思えばどのレコードの演奏もうまくはなかったと思いますが、小学生の僕はこれを聴いて、「アメリカってカッコいいなあ」と思ったんです。
A.レコードのジャケットは、どんなものだったのでしょうか。
Q.なぜかフランケンシュタインが写っていたり、ホットロッドの車だったり……これがビーチ・ボーイズだったら、本人達の写真になるんでしょうけれど、無名のバンドなんでよく分からないジャケットになったんでしょうね。日本の子供達がボタンダウンのワイシャツを着ているアメリカの父親に憧れた時代の雰囲気はありましたね。
記憶の記録より記事を引用
