


1979年5月に1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』がアメリカで発売され、8月には米西海岸を拠点とするバンド・チューブスのロサンゼルス公演にゲスト出演。
現地の聴衆を沸かせ、前座にも関わらずアンコールが起こった。この勢いに乗って10~11月には、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンと欧米各地をまわる第1回ワールドツアーを成功させ、帰国後の12月には東京・中野サンプラザで凱旋公演を行なった。
欧米での評判は日本にも伝えられ、“YMO旋風”が巻き起こる。この間、1979年9月には2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされた。
そのジャケット写真やコンサートでメンバーが着た赤い人民服、テクノカットと呼ばれるヘアスタイルなど、YMOはアートワークやファッションの面でも注目された。
アルバム収録曲の「テクノポリス」と「ライディーン」はシングルカットされ大ヒットする。
年が明けた1980年2月には、メンバーがフジ・カセットに出演してYMO人気に拍車がかかり、大学生はもとより洋楽ファンや小・中学生にまでリスナーを広げた。
この年のYMOの全レコードの売り上げは、引退した山口百恵をおさえて第1位となり、日本レコード大賞アルバム賞、FNS歌謡祭特別賞なども手中に収めた。
文春オンラインより記事を引用
