テレビ探偵団 谷啓 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

テレビ探偵団 谷啓 1990.11.18

テレビ探偵団 テレホンカードハナ肇と谷啓谷だァ~! ガチョーン!!ガチョーン伝説谷 啓(本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。

1945年4月に旧制逗子開成中学校に進学。入学式の時のブラスバンドの演奏でトロンボーンに出会い一目惚れして当時の吹奏楽部に入部。

8月に敗戦を迎えると連合国軍がジャズを持ち込み、それを聞いて「こんなに楽しい音楽があったのか」と夢中になる。大量に上映されたアメリカ産のコメディ映画にも夢中になる。

芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。名乗り始めた当初は、「ダニー・ケイを敬う」という意味で『谷敬』だった。

ファンから「谷敬という字はいけません。谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになるから」という指摘を受け『谷をひらく』という意味の『谷啓』と改名した。

髪型や芸風は『アボット&コステロ』のルー・コステロに似せている。『クレージーキャッツ』の他のメンバーはミュージシャン志望で役者になろうとは全然思っていなかったが、ただ一人、谷だけがコメディアン志望であった。

1959年の『おとなの漫画』以降、コメディアンとして多くのTVバラエティ番組に出演。「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)「びろーん」「アンタ誰?」「ムヒョーッ」といった各種のギャグで不動の人気を獲得した。「谷だァ!」というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の「青島だァ!」に対抗する形で発せられたもの。

ハナ肇の付き人を務め、長く親交があったなべおさみによると「2008年ころから(谷について)物忘れがひどくなっていた。今年(2010年)春に見舞いに訪れた際にはもう私(なべ)のことが分からなかったこともあった」と語り、晩年の谷に認知症の症状が進行していたことを示唆している。

2010年9月10日、自宅の階段から転落して頭などを強打。杏林大学医学部付属病院に搬送されたが、翌11日午前5時7分に脳挫傷のため死去した。78歳没。

谷啓の若い頃
谷啓の若い頃