



現在の搦手門は北門の亀甲門です。こちらは平川市大光寺(廃城)から移築した門なので、門のあちこちに鉄砲や槍で射ぬかれた戦の傷跡が残っています。門の細部まで集中して撮ったワケではないので、細かい箇所は省きます。
他の追手門・東門・東内門などは戦国時代が終わってから建てられたので、最初からキレイなまま現在に至ります。
櫓門である追手門には、出格子窓が備えられています。門の内側にある部屋からこの窓を通して、外部を監視していたものと思われます。
二階にも出格子窓が備えられています。その隣にある三角の穴は、銃眼です。門を攻め寄せて来る敵を、ここから狙い撃ちするために設置されていました。弘前城の史跡に残されている銃眼は、他の地域の城の銃眼よりも銃口の出る穴が小さくなっています。
弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています。雪国の城ならではの工夫です。
追手門 (オオテモン)より記事を一部引用

