


藩政時代の初代藩主、津軽為信は領内の開発を進め慶長八年(1603)に高岡の地に注目。その周辺に町割を実施、新城建築を計画した。
弘前城は二代藩主信枚が慶長十六年(1611)に完成させました。ところが築城から16年後の寛永四年(1627)落雷により炎上して焼失。
五層の大規模な城だったそうで、1998年に運行された弘前ねぷたにも弘前城炎上 満天姫 が描かれました。現在の天守閣内部は史料館として公開されています。
満天姫は津軽2代藩主・信枚(のぶひら)の正室となった方です。下総国関宿(現・千葉県野田市)から弘前に嫁いだのは、慶長18年(1613年)、今から約400年前のことです。
3代藩主以降の正室は武家諸法度により江戸の藩邸住まいが義務付けられていますので、嫁いでから亡くなるまでの生涯を唯一弘前城(当時は高岡城)で暮らしたのが満天姫です。
弘前城は慶長11年(1611年)に完成していますので、新築間もない弘前城で、時には同じ城内に暮らす初代藩主・為信の正室・仙桃院とも交流があったのではないかとのことです。

写真は弊ブログ管理者が撮影しました