


他藩のような国換えも無く、藩主が同じ地に居続けたことで津軽の文化は発展してきました。ねぷたもそうした影響を強く受けています。それでは弘前ねぷたについてもう少し深く掘り下げてみましょう。
ねぷたは扇形ばかりではなく、人形型のねぷたもあります。ですが、完全な人形型は青森市のねぶたになります。弘前で言う扇形でないねぷたは、組ねぷたと呼んでいます。青森との最大の違いは、開きに牡丹の絵が描かれることです。裏には見送り絵もあります。四隅の端っこには、高覧と言う四角形の棒状をした出っ張りがあります。
元々人形型の組ねぷたが主流だったのですが、これは費用と製作日数がかかるので、安価な扇形に取って代わられました。ねぷたも日々進化を続けていますが、2004年の必殺ねぷた人の前ねぷたでは八角形の台座が出てきました。ねぷたの台座と言えば四角形が主流ですが、ねぷたは新たな進化を迎えているようです。
ねぷた絵は江戸末期の浮世絵の影響を強く受けています。明治に入り勇壮な武者絵が市民に好まれ定着して今日に至ります。天保のベストセラー小説『絵本三国志』『水滸伝』『漢楚軍談』などのさし絵が絵師のテキストになりました。
見送り絵は明治時代に鐘馗や関羽が描かれ、大正時代以降は唐美人や虞美人を描くのが主流となり、鏡絵の勇壮さに対して優美な妖艶さが見送り絵に要求されるようになりました。
弊サイト弘前ねぷたの解説より抜粋と加筆

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