白い恋人 生みの親 逝く | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

「白い恋人」生みの親 逝く ネーミング誕生に秘話が

白い恋人 白い恋人 利尻山 2021年10月29日、北海道・札幌市のお菓子メーカー・石屋製菓の石水勲名誉会長が、亡くなっていたことがわかった。77歳だった。

石水さんは、北海道の代表的なおみやげ「白い恋人」の生みの親。発売されたのは、1976年。当時、大ブームだったホワイトチョコをフランスの焼き菓子、ラングドシャでぜいたくに挟み、北海道限定のお菓子としてスタートした。

かつては1枚1枚、従業員が手作業でチョコをサンドしていた「白い恋人」。そのしゃれたネーミングは、どうやって生まれたのだろうか。候補には、「冬将軍」、「ブリザード」などがあったが、どれもしっくりこなかったという。

きっかけは、石水さんの父。ある日、雪が降り出す中、スキーから帰って来るなり、「白い恋人たちが降ってきたよ」と話したという。

この時、石水さんの頭をよぎったのは、1968年のフランス・グルノーブルで開催された、冬のオリンピックを記録した映画のテーマ曲。タイトルはズバリ、「白い恋人たち」。これが「白い恋人」誕生の瞬間だった。

発売から変わらないパッケージに描かれた山は、北海道の利尻山がモデル。スイスの山並みのような風景にひかれたという。誕生から45年を経て、日本を代表するお菓子となった「白い恋人」。その生みの親は、「白い恋人たち」が降る季節を前に、空へとのぼっていった。

CM大島優子 石屋製菓 白い恋人2004年夏編30s