1982年、これまでワシントン支局の特派員を務めていた木村太郎をメインに迎え、パートナーに番組契約のキャスターとして宮崎緑が起用された。これまで女性は気象情報担当の契約アナウンサーが担当していたが、宮崎が番組全体の進行に携わる女性キャスターとして起用するようになった。気象キャスターは当初2年間は専属が不在だったため宮崎が実質兼任していたが、のちに日本気象協会職員にその役を移した。
木村・宮崎両キャスターのイメージや得意分野を活かし、分野ごとにどちらが伝えるかを決めていた。一例として科学技術分野は理系の宮崎が伝えるという格好だが、木村もコンピューターテクノロジーに詳しい。
以前のニュース番組ではほとんど扱われることがなかった文化や芸能の話題も取り上げ、放送開始直後の1974年には宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』公演が大ヒットした要因を取材した。