津軽音頭 (秋田節)津軽音頭 (秋田節) 津軽音頭とは、津軽半島の西の付け根にある西津軽郡森田村を中心とする周辺の農村へやってくる遊芸人「秋田坊」が歌っていたものです。 「秋田坊」とは、秋田方面からやってくる目の不自由な遊芸人で、歌い手にちなんで「秋田節」とも呼ばれていました。 演唱者の成田雲竹は、「秋田節」を祖父の膝の上で口三味線つきで覚え、大正末頃、曲名を「津軽音頭」と改めました。三味線の伴奏を確立したのは、戦後コンビを組んだ高橋竹山です。