

その後二眼レフカメラを得意としていたが、1947年発売の「ミノルタ35」を皮切りに次第に35ミリカメラに開発の比重を移していく。
1962年NASAの厳しい試験をクリアした35mmレンズシャッターカメラ「ハイマチック」がグレン中佐乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行用カメラとして採用され、フレンドシップ7号にちなんで製品名称に7を多用するようになる。
ミノルタカメラが普及した背景は技術力もさることながらミノルタのCM戦略も大きかった。
1980年宮崎美子を起用した「X-7」のCMが大ヒット、X-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなった。
ミノルタX-7(1980年発売)は、普及型一眼レフカメラ。XG系フレームを使用した上で撮影モードは絞り優先式AEのみに特化、価格もミノルタXDの半値程度とし、初心者にも扱い易い仕上がりとなっている。
この時期ニコンEMやオリンパスOM10など「AE専用・4万円」という同コンセプトのカメラが発売されており、各社エントリーモデルとして販売競争を繰り広げた。